I am you.You are me.

ピンと来たことって、言葉にはならなくて、
しようとも思わなくて、ただただ確信みたいなものはあって、揺るぎない。

これまでも時折そんなことはあった。

この場所で絶対に働くな〜とか、
この人とはまた会うな〜とか、
これはGOだな〜とか。

そしてそれは、思ったとおりになる。
その時には具体的にわからなくても、何かとても重要であること。
そんなことがある。

ぼーっとしていると流れていってしまうこともあるけれど、何となく、そういう大事なことは、落とさずに拾ってきたように思う。

その感覚がまたやってきた。

由美子さんからお誘いいただいた時には、
もう行くことは決めていて、というか決まっていて、
更にとみーさんからお誘いいただいた時には、
完全に行くことが定まっていて、
実際に行くことになった。

由美子さんやとみーさんが紹介していた記事を見た時には、もう既に決まっていたように思う。

何かよくわからないし、
何なら最初は文言もほぼ読んでいないし、
これは長いからじっくり読まないといけないなと思って放っておいた時間も長かったけど、中身を読まなくとも、決まっていた。


I am you.You are me.

台風の影響で各種交通機関にも影響が出ていたけれど、
何の問題もなく、会場で参加することがわかっていた。
由美子さんも定刻通りにいらっしゃることもわかっていた。
世間はあれこれなっていても、完全なる凪。
全く影響がなく、時間が流れる感じが面白い。

イベントは2部構成。

1部は、「綺麗事で飯を食う」をテーマに、登壇者8人がトークを繰り広げる。

自分も登壇者側にいて、そこで話しているような感覚にもなり、また観覧席側での聴衆のひとりであることも同時に感じた。
そもそも「綺麗事で飯を食う」とは働かなければ食えないという前提にあるのではないか。
確かに、興味関心のあることを語る時に、必ず問われることは、「それでは食えないよね」とか、「趣味と仕事は別だよね」とか、「好きなことで食っていけるのは、ほんの一握りだから」とか・・・。
とにかく、食うことが何より大事で、ビジネスモデルや利益なんたらと喰われてしまい、「好きなことをただ語ること」や「単純にやりたいという気持ちベースのこと」は切り捨てられてしまう。

昔、こんなことを言われたことがある。

「なんでお金にもならないことをやるの?身内に障害者がいるの?いないのに、何で興味を持つの?気持ちは立派だけど、そんなお金にもならないで、身内とも関係のないことで、興味を持つなんて、そんなことありえない。今だけよ。」

話していたことは、今と同じ。
昔の方がもう少し拙くて、今の経験や体験を積む前だから、感覚や考えだけでもあったけれど、それこそ今よりも純度が高かったとも考えられる。

「こどもが生まれた場所で、あたりまえに勉強したり、仕事をしたり生活できる地域を作りたい。障害があるからと言って人里離れた場所に送られるとか、選択肢がそもそもないとか、それっておかしいんじゃないか。」

「色んなこどもたちが一緒に過ごせる場が作りたい。寺子屋みたいな長屋みたいなものを作りたい」

「おとなもこどもも関係なく、人の集まる交差点みたいなカフェが作りたい。それぞれが自分の目的で過ごし、別々のことをしているのに、なぜか調和がとれている場。目的なんてなくてもただそこにいたいからいる、そんな場を作りたい」

「こどもがいるおとなが「ごめんなさい」と何度も何度も頭を下げる、自分たちが行ける場所ではないと感じること、人に迷惑をかけるし人の目があるから行きたいなんて烏滸がましいと感じること。そんなことを感じない場を作りたい」

その時々で語る言葉は変わったり、表現も少し違ったりはするけれど、大きな軸みたいなのはこんなこと。

どれもこれも、
「それはただの理想でしょ?できたら良いけどね〜(無理に決まってるけど)立派だね〜(本気で思うなんてありえないから偽善者)」と言われてきた。

本当なのかな。
やったことあるのかな。
できないからやらないのかな。
やれないからやらないのかな。
求められてないからやらないのかな。
採算が合わないからやらないのかな。


色んななんだろうな〜を感じてきた。

だんだんと関わる人が変わってきて、
綺麗事ばっかりやってる人、
綺麗事しかやってない人、
夢のまま終わらせないでどんどん叶えてる人、
悪戦苦闘しながらも着実に一歩ずついく人。

そんな人しか会わなくなってきて、
やり方や考え方は違えど、周囲の雑音に振り回されるのではなく、自分の声に忠実に、まっすぐ、大切に大切に形にしている。
そしてそれは、1人ではなくて同じように想いを持つ人同士が繋がって、大きなうねりとなって、それぞれの動きをとっている。
目の前にこの瞬間いなくとも、その仲間を感じて、そこに立てることがあるんだと進んでいる。

苦しくなった時や辛くなった時に感じるのは、
世界はあたたかいということ。
大丈夫だということ。

イベントに登壇していた8人はそれを体現している。
自分なりの船を持ち、港を持ち、自分が舵をとって、自分なりの航路に沿って航海をしている。その船長たちの集いだった。

自分の船はなんだろう?と考えた。

答えは、「フェリー⛴️」だった。
イベントの場でも、後からもずっと考えたけれど、答えは同じ。

「フェリー⛴️」と降ってきた。


「なんでだろう?」

それぞれのエリアがあって、それぞれ楽しんでいて、向かう方向だけは一緒で、でもその港に着いたら、またみんなそれぞれの場に向かう。
同じ時同じ場で過ごすことは貴重なことで、文字通り一期一会。その中で、もし仲間となることがあったら、その先の向かう場が変わることもあるし、増えることもある。
それが面白い。

カフェもフェリーも同じ。
同じ時同じ場で過ごした人。
具体的に直接的な関与はなくても、影響は与え合っている。自分があって、そこから自分以外があって、向かう場があって、そこにはどんな目的で向かうのかは違う。

人は多面的で、自分でさえ自分自身を捉えきれていないことがある。
一方で、「自分のことさえわからないのに人のことを言うなんて!」と指摘されることもあるけれど、自分のことだからとわかっているようで、人の方が自分を客観的に捉えていることがある。
自分を知るために他者がいる。そんなことも言えるくらい。1人が大事で、個が基本。だけど、1人じゃダメで、他にも人が必要。個がどんな形で連なるかで動きも変わるけれど、個が結びついて動きが変化して、思いもよらぬところに辿り着くこともある。それも、自分以外の個がいるから。

自分を大事にすることは人を大事にすることとイコール。まさに、I am you.You are me.の世界。


第2部は、「I am you.You are me.」をテーマに、聖弓さんのお話。

自分のストーリーを話すことは、カミングアウトの連続。話しながら自分にも聞かせて、人にも知らせる。怖いこともたくさんあるけれど、発するから共鳴することがある。ストーリーを聞いているとみんなそれぞれの人生の主人公で、どんなテーマで今回の人生を生きているのかで配役も展開も変わる。

以前、ある人に、
「"人生って・・・“の後に続く言葉は何?」と聞かれたことがある。

「人生って面白い」それが自分の中でストンと来た。

思い返せば、どれだけのネタなんだろうかと思うほどの面白いことが起きる人生。どうやら自分に1番感じさせてあげたいのは、「面白い」ということらしい。
そして、「あなたはどんな人?どんな使命があるの?」と聞かれたこともある。

たくさんたくさん考えて、出てきたのは、
「目の前の人を笑顔にする人」
目の前の人が増えれば、関わる人が増える。
笑顔になる人が増えれば、笑顔の連鎖が拡がる。

またある時は、口癖の話になった。
「それって楽しい?」とよく言うらしい。
しかも、職場で笑

前職ではこどもと関わることが仕事。
そこには多様な子、スペシャルニーズの子と呼ばれる子がたくさんいた。
でも、だからといって何のことはない。

一生懸命になっている先生に伝えていたのは、「それって、先生は楽しい?こどもは楽しい?ご家族は楽しい?」
自分にとっては"楽しい"もキーワードになるらしい。

自分はどんな世界で生きたいのだろう。
これからどんな世界に行きたいのだろう。

自分がウダウダしていた時に、決断するキッカケ、大きな決め手は、親孝行の方向性が定まったこと。「昨日よりも、楽しく過ごしている。前よりも今が幸せだと見せていくこと」

人生は面白いという前提のもと、
「それって楽しい?」と問いかけながら、
目の前の人を笑顔にすることで、
笑顔の連鎖を作っていく。
前よりも今が幸せだと感じる日々を送る。
それはひとりではなくて、仲間と共に。

登壇者の聖弓さんは言っていた。
最後のメッセージで
「あなたは、あなたが思っている以上に強い」
と残してくれた。

強い。
そう思った時、力が漲るような感覚となり、
これまでの歩みは間違っていなかったんだと、そしてこれからも自分の心に真っ直ぐにただ行けば良いだけだと、迷った時には「それって楽しい?」と聞けばいい。悩んだ時には「前より今が幸せ?」と問うてみる。

ひとつひとつがやっと言葉になった

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