親が弱り、私も衰える
私の両親は70代になります。
義両親も同じく70代。
実父は2年ちょっと前まで現役の大工として働いていました。
40代後半で大きな病気を経験してからは戸建ての仕事からマンションの内装の仕事へと変わりましたが、を現場でも最年長として頑張っていましたが、ようやく一昨年の8月で仕事を辞めたと思ったらその2か月後、10月に肺ガンが見つかりました。
退職祝いとして旅行か食事でも・・・と考えていた矢先のことでした。
退職後に病気が見つかる話は時々聞く話でしたが、まさか自分の親が・・・と、とてもショックでした。
同時にずっと専業主婦として父親に依存していた母がとても落ち込んでしまい、治療のため入院した父のいない家で一人で過ごせるのかも不安で、様子を見に何度か帰省したりしました。
ちょっと父の帰りが遅いだけでも寂しがるような母でしたから1か月以上も治療で家にいないとなると母のことも心配でした。
母はすっかり落ち込んで「お父さんが死んでしまう」と葬儀場の資料請求をしたり、お葬式で出すお菓子を買ってくる、など少しおかしくなっていました・・・。
あれから2年。
父の病状も比較的安定しており、通院しながら自宅で過ごしています。
予断を許さない状況でもあり、足も弱り、杖をついてゆっくりしか歩けず、食事もあまり喉を通らないので、かなり心配な状況ではあります。
母も父のことで心配が絶えないのでやはり疲れているような印象もありますし、年齢とともに家の中の段差や階段も大丈夫かと心配になる年齢になりました。
親というのは子供にとってはいつまでも親で、そうはいいつつも私も帰省すると母にコーヒーを入れてもらったり、洗濯をしてもらったりと、甘えています。
まだ母が動けているからですね。
少し前まではいつかは老いると頭ではわかっていても、いつまでも両親は元気でいるような、そんな気持ちがあったように思います。
「私が死んだら」
なんて言葉が母から出ても、あまりまともに聞いていませんでしたが、今は少しリアリティを感じてしまいます。
両親との関係性は親子の数だけあり、中にはすでに他界されている方、介護をされている方、もしかしたら縁を切って関わっていないという方もいるかもしれません。
私に限っていうと、もちろん小さないろいろはありますが、両親とは良好な関係で、感謝もしており、大切にしたいと思っています。
ただ、関西と九州と離れて暮らしているのもあり、しょっちゅう様子を見に行くことは難しいですし、日々忙しいと電話もなかなかできなかったりします。
数年前にやっと父にスマホを買って、LINEで簡単なやり取りだけはできるようになりましたが、それも忙しいとなかなか連絡できていなかったりします。
これから父の病状が悪化したら・・・
母も弱ってしまったら・・・
考えると不安で仕方ありません。
しかし考えても答えはありませんので、そんな時こそ、やはり気持ちを切り替えるために没頭できる趣味や楽しみがあることが大切になると思います。
自分の親も、夫の親も、最後まで楽しく生きて欲しいと思いますが、痛みがあったり、思うように体が動かなかったりすると、気持ちもどんどん落ち込んでいくと思います。
本人たちもだんだん近づいてくる「死」であったり、自分が介護状態になることだったり、不安で怖いだろうと思います。
何か楽しめることがあれば良いのですが。
職場の先輩で母親と同じ年の男性がいます。
もう退職されたのですが、今も別の会社で仕事は続けていて、90代の義母を介護してらっしゃいます。
そのおばあちゃんをいつもスタバに連れて行ったり図書館に連れて行ったりしていて写真を送ってくれるのですが、いつもかわいい笑顔で写っていて、こんなふうに年を取らせてあげたいな、と思ったりしています。
誰でも老いから逃げることはできません。
もちろん自分自身も含め、です。
じわじわと迫る老いに恐怖を感じない人はいないでしょう。
だからこそ、そこに向き合う人たちの苦しみを少しでも和らげてあげることができたら良いな、と思っていますが、それが何なのかはまだわかりません。
40代後半になってくるとこれまでと同じようにいかないことも増えてきます。
ちょっとした無理で大きく体調を崩したり、腰が痛い、膝が痛い、頭が痛いなど。
食べ物の好みが変わったり、体型や肌、髪なども少しずつ変化してきます。
その変化は改善することや過去に戻ることはなく、最期に向かって緩やかに進行していると思うと恐怖と寂しさを感じずにはいられません。
そんな時、自分自身もタロットや星を活かしていけたら良いな、と考えています。
落ち込んだり悲しんだりしても現実は変わらない。
今の等身大の自分をしっかりと見つめ、受け入れ、今だからできること、今しかできないことに取り組んでいけたら、と思います。
そして自分も、周りも、笑顔でいられるように過ごせたらいいな、と思っています。