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死体と操縦 3

3.破壊


 彼の部屋は、私の住む部屋よりさらに家賃の安い、半壊集合住宅の一室だった。なかは驚くほど物がなかった。身辺整理したからね、と彼はおどけて言った。
「これを」
 手渡されたのは小型の切断機だった。かちかちかちと収納されていた薄い刃を出し、構えて、いろいろな角度から眺める。頸部や腹部に何度も刺せば致命傷を与えられるかもしれないが、だいぶ痛そうだ。そういう趣味なのだろうか?
「これで殺すの?」と確認すると、「いや、まだだから、早まらないで」と珍しく慌てだした。
「まず僕が海に接続し、主処理系統を完全に向こうに同期させ、権限を移す。僕が合図したら、君は物理的に線を切ってくれ」
「今のあなたの回路はどうなるの」
「空っぽさ。廃棄物だ」
「そんな」
「向こうに領域を確保してある。すでに部分的に切り離して複製済だ。実は今も遠隔で話しているんだよ」
「それは本当にあなただと言えるの」
「じゃあ今の君は、どこからどこまでが君なんだ?」
 私は口を噤む。
 彼は端末に携行用《指先》を接続し、躊躇いもなく右手指の皮膚を剥がした。思わず目をそらすと彼が笑った。「おいおい、いつも仕事で見ているだろう? 新から旧まで、一日に何体も」
「あれは部品であって体じゃない」とどぎまぎしながら答える。そういえば私はいつから解体が平気になったんだろう。仕事を与えられたばかりのときは、動かないはずの腕が動き、光のない眼球に睨まれたような不具合に悩まされていた。それがいつしか、前掛けをして作業区の運搬帯の前に立ち、《指先》を嵌めた瞬間、かちりと音を立てて回路が切り替わり、内燃機関が冷めるようになった。実際に機体内温度が低下しているわけではなく、それも一種の不具合なのかもしれない。
 でもここは作業区じゃなくてあなたの部屋だった。そして、いま目の前にあるのはあなたの機体だった。だから、と発話するはずのない胸部外骨格の内奥で呟く。
「感情は美しい欠陥だ」
 視線を戻すと彼がまっすぐにこちらを見つめていて、私はまた目をそらす。
「私たちはなぜ完全な機械として生まれて来なかったんだろう。なぜ常に矛盾を抱え、不安定な状態にあるんだろう。生きていることそれ自体が不安定なのかもしれない」
「それが死ぬ理由?」
「もちろん違う。僕は単に新しいところへ行きたいだけだ。そのためには、この機体では手狭にすぎるからね」
 彼が《指先》の受容部に剥き出しの右手を差し入れた。しばらく待ってから、細かく滑らかに指を動かす。いつか映像記録で観た、楽器を奏でる演奏家のように。あるいは色玉を消してみせる手品師のように。
 やがて彼はこちらを向いて、「用意ができた」と言った。「やってくれ」
 ここへ来て私は躊躇した。もし彼が嘘を吐いていたら? たとえ本当だとしても、どこかで間違えていたら? 彼の意識は接続先を失い、機体を残してかき消える。私は犯罪者になる。警備局に捕まり、処罰され、廃棄される。彼を壊すことで彼に壊される。
「どうする?」彼が私の内心を見透かすように問う。「引き返すなら今だ」
 私は微笑む。すでに差し出された実を齧ってしまっていた。もう戻れないし、戻る気もない。切断機を構える。
 それでいい、と彼が私に向かって左手を伸ばす。私の目の下、角張った顔の輪郭をなぞると、免疫帯電が反発し合ってぱちりと鳴り、それから金属の擦れる耳障りな音を立てた。
「待っている」
 切断機の刃を線の被覆に当て、滑らせる。内側の繊維がぷちぷちと切れていき、やがて全て切断された。私は彼の眼球が停止し、意識の光が失われるのをじっと見つめていた。

――壊れたことを確認したら、もう一台ある携行用《指先》を持っていくこと。

 つい先ほど記録された彼の音声に従って、私は用意されていた鞄を肩に掛けた。

――決してその場で拡張機塊を取り出そうとしないこと。たぶん外れないし、傷つく可能性もある。解体は工場内で行った方がいい。

 私は、だらりと垂れ下がった彼の手に触れた。耳障りな音。冷たく無骨な、金属でできた私たち。私たちは。
 私たちはなぜ常に矛盾を抱え、不安定な状態にあるのだろうか。
 感情は美しい欠陥。
 ふと、目から油が漏れているような感覚に襲われた。拭おうとするけれど、それは錯覚だった。なぜだろう。零れ落ちる油が熱を帯びていることを、私は知っている。

(続く)

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