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彼女の宇宙 その4

「じいちゃん、夜、自転車貸して」
 ひぐらしの声をBGMにして西瓜にかぶりつきながら、裏口に向かって叫ぶ。「おお、もってけー」というのんびりした声が返り、ややあって、洗濯物を抱えた祖父が姿を現した。
「花火か?」
「違うよ、星。山、行ってくる」
 違うとは言ったけれど、花火みたいなものかもしれない。雑誌に載っていた写真を思い出す。一点を中心にして放射線状に広がる、光の軌跡。
「あー、星かあ。今日は晴れとるし、よう見えるぞ」
「うん」
 祖父が洗濯物をたたみ始めた。手伝おうとしたら、西瓜食い終わってからな、と言ってとめられた。まだ半分くらい残っている西瓜を食べながら、ぼんやりとした頭の中でイメージがつながっていく。放射状に並ぶ西瓜の種、花火、爆発、ビッグバン。
 夏休みに入ってから、文化祭の準備で何度か登校したけれど、やっぱりアマノは来なかった。アマノが提案した模擬店のロシアンたこ焼きは、いつの間にか丸いカステラ的な何かに代わっていた。クラスメイトたちは、無意識のうちにアマノのいた痕跡を消し去ろうとしているようだった。
「どうした、夏バテか」
「ううん」
 洗濯物を片づけると、祖父は仏壇の前に正座して、蝋燭に火をつけた。線香を一本立てて拝む。仏壇の前にはお供えの果物やほおずき、提灯が置かれている。祖父は顔を上げると、「もういいかげんに用意しなかんな」と呟いた。
 部屋の天井近くにかけられた遺影を見る。戦争で亡くなった曾祖父は軍服姿で凛々しい。僕が物心つくかつかないかの頃に亡くなった曾祖母は、当時は珍しく背が高かったらしい。細面で切れ長の瞳、わずかに微笑んでいるように見える口もとに、どこか刃物のような鋭い印象を受ける。そして二年前に亡くなった祖母は、背が低くてよく笑う可愛らしいひとだった。にっこりと微笑んでいる写真はまだ比較的健康だった頃のもので、癌になってからはだいぶん痩せてしまったけれど。
 曾祖母が死んだときのことを、ひとつだけ覚えている。まだ死という概念がなかった僕に向かって、祖母が言った言葉だ。
「おおばあちゃんは、そらになったんだよ」。
 ソファに寝転がる。宇宙になることは、と、僕は終業式の日に感じたことを思い返す。死ぬことなんだろうか。
 死ぬことは、宇宙になることなんだろうか。
 ばあちゃんは宇宙になったんだろうか。

 祖父とテレビを見ながら夕飯を食べて、食器を洗って、それから出かける準備をする。星座早見盤、双眼鏡、赤いセロハンで覆ったペンライト、敷物、上着、水筒には温かいお茶を入れた。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてな」
 自転車を漕ぎ出すと、長いこと油を差していないらしく、きいきいと悲鳴をあげた。ひんやりとした空気が肌に心地よい。
 川沿いの平らな道を三十分ほどいくと、山の上にある公園への案内板が出ている。そこから長い上り坂が始まる。立ち漕ぎすると、自転車のチェーンがぎちぎちと不安になる音を立てた。山の坂道は急な上にうねうね曲がりくねっていて、すぐに太ももがぱんぱんに張ってしまう。
 坂の途中でエンジン音が聞こえ、慌てて路肩に止まった。前方からワゴン車が下ってくる。おそらく家族連れだろう、ハイキングかバーベキューの帰りなのかもしれない。ワゴン車が通り過ぎると、すれ違う形で下から軽自動車が走ってきた。自分と同じで、今から星を見に行くんだろうか。公園は県内ではそれなりに有名な星見スポットでもある。
 エンジン音が遠ざかってから、自転車を押して歩き出す。鬱蒼と茂る木々の下で、湿気を帯びた空気がべたべたとまとわりついてくる。
 ふだん街中で暮らしていることもあって、ここに来るたびに、山はぜんぜん静かじゃないな、と思う。夏は特に音の洪水だ。昼間の蝉時雨もそうだけど、夜の虫の音はもっとすごい。様々な種類の音色が混じり合って、滝壺に落ちる水音のように、一定の音程を保っているように聞こえる。けれど、よく耳を澄ましてみると細かく揺らいで、唸っていることに気づく。巨大な生き物の上に立って、その息づかいを聞いているような感覚。そうすると、風が吹いて木々が葉をざわつかせるだけでも、山が体を揺らして毛を逆立てているような気がして、僕は全身が粟立ってしまう。
 一つ目の坂を上りきって自転車に跨る。緩い下りを、風を感じながら走る。しばしの休憩。そして次の上りにさしかかる。山向こうから、明るい月が顔をのぞかせていた。

 公園の入り口に着く頃にはへとへとになっていた。駐車場の隅に自転車をとめる。車が十台以上とまっていて、そこで折り畳み式の椅子を出して空を眺めているひともいた。でもここだとトイレの明りが眩しい。もっと暗い場所を目指して歩く。コウモリになったような気分だ。
 小道を行き、木のトンネルをくぐると開けた空間に出る。月明かりに照らされた、広い芝生のグラウンド。一歩踏み出すと、スニーカーの裏に水分を含んだ草の柔らかい感触があった。
 ここでもちらほらと、空を見上げている人たちが見える。家族で来ているのか、小学生くらいの姉妹が楽しそうに走り回っている。普段ならもうとっくに眠っている時間だろう。夜遅くまで起きていられるのが嬉しいのかもしれない。
 適当なところで鞄を下げ、中から敷物を取り出した。広げて座る。お尻がひんやりと冷たい。お茶を飲む。空を見上げる。
 月、でかいなあ。
 思わず苦笑いしてしまう。ちょうど昨日がスーパームーンだった。普段なら月がきれいなのは嬉しいけれど、今日のところはもう少し控え目になってほしかった。何せ、照明のついていないこのグラウンドでも、人の顔がはっきり確認できるくらい明るい。雑誌でチェックして知っていたけれど、今日はあまり期待できないかもしれない。
 僕は敷物の上に寝そべって、星座を結んだり、うっすら見えるか見えないかの天の川をたどったりした。東の空から上ってくる秋の星座は少し暗めで、すっかり月の光に負けてしまっている。
 しばらくして、小さな光る点が南から北にゆっくり動いているのを見つけた。人工衛星だ。双眼鏡を構えて、後を追う。
 あそこまで行くことができるんだ、と思う。
 人工衛星が通り過ぎてしまうと、煌々と照る月をちらと見た。あそこにも、行くことができる。
 アマノはどこまで行くことができたんだろう。
 ぼんやりと空を眺めていると、端っこの方でひときわ明るい光の線が走った。そこここで歓声が上がる。女の子が「見えた!」と叫んで、もうひとりが「えー、お姉ちゃんだけ、ずるい」と喚いた。思わず笑ってしまった。

 星を見ていていつも思うのは、自分がどれだけちっぽけな存在かということだった。
 ひとつ輝く星を見る。あの星の光が地球に届くまでに何十、何百万年という年月がかかる。そんな遠くにある星が、夜空には数え切れないくらい光っている。星と星のあいだの暗い空にも、肉眼では見えないだけで、星がぎっしりとあるのだという。そういったことを想像して、頭の中の宇宙が広がれば広がるほど、それを見ている自分が小さくなっていく。まるで透明人間になってしまったかのように、夜風が空っぽになったからだを通り抜けていく。
 あまりにも大きすぎて、考えようとすると、自分がなくなってしまう。そんな途方もないものに、アマノはなった。
 ふと気づく。今、自分は星空を見ているんじゃなくて、アマノを見ているんじゃないか。あの星々も、一瞬だけ光る流れ星もアマノだし、月だって、地球だってアマノだ。
 アマノは宇宙になったんだから、僕はアマノの中にいる。僕もまた、アマノの一部だった。
 瞬間、全身がぞわり総毛立った。美しいものを目にした時の感動や、達成感に似た何かと同時に、吐き気がするほどの生々しさ、嫌悪感みたいなものがないまぜになって押し寄せる。思わず目を閉じた。流されてしまわないように。
 きらきらと光る泥水のようなその感覚は、尾を引いて、いつまでたっても消えなかった。

* 参考
2014.8.11 午前三時前後 スーパームーンのピーク
2014.8.13 午前九時頃 ペルセウス座流星群の極大


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