あの日①。

私は会社にいた。社内には2人。一回目の大きな揺れがおさまるのを待ち、荷物を持って近くの公園に避難した。信号は止まっており、すでに街はパニック。大勢の人が公園に避難してきた。携帯はすでにつながらない。

2011年3月11日
東日本大震災

そのまま終業となり、家へ。本棚は倒れ、部屋は足の踏み場のない状態。電気も止まり、情報源は携帯とラジオ。部屋の片づけはしなかった。また地震が来ると思ったから。

津波が来る。その時、初めて知った。ラジオから伝えられる刻々と変わる状況をただただ、私は手帳に書いていた。

「避難して下さい」と叫ぶラジオのパーソナリティ。どのくらい経っただろうか、第一波をラジオが伝えた。ラジオの内容はよく覚えていない。覚えていないが、手帳にはこのような内容が書かれている。

「街を襲った」

その夜、私は繁華街まで歩いてみた。暗闇。ただただ暗闇。電気がないとここまでなのかと思った。時折、通過する車のヘッドライトが恐ろしかった。

電気、ガスは使えないが、水道は大丈夫。幸い、ヤマノボリが趣味だったため、バーナーでお湯を沸かしインスタント食品を食べたと思う。なかなか寝れなかった。ラジオはつけっぱなし。沿岸部で火災が発生したと伝えていた。

小雪舞う寒い日だった。








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