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夜明け前のプレイヤー

夜明け前のプレイヤー

彼の朝はパンをまっすぐに切ろうとするところからはじまる。あくまで切ろうとするだけで、実際は歪んでしまうのだが。そのたびごとに彼は、今日は手を動かしすぎたとか、重心の移動がうまくなかったとか、刃の侵入する角度がとか、いろいろな反省をする。
彼は何者なのだろう。パン屋になりたいのだろうか。それともパンは付帯的な何かで、もっとなにか、別の目標があるのだろうか。分からない。彼は真剣だった。少なくとも、傍か

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放課後のメロディ

放課後のメロディ

軽やかな飲み口とともに、やわらかく、甘い香りが広がっていく。ナッツのようなフレーバー。苦味はあとになってから、ほんのりと感じられた。

9月7日。僕は夕暮れに堀口珈琲店を訪れていた。5月にリニューアルオープンして以来、初めての訪問だ。前から綺麗だったお店は、より一層綺麗になっていた。

さて、僕はどうしてここに来たのだったか。あたかもブラジルコーヒーの魅力を再発見するかのように、その理由を記憶の中

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ウェルカム・バック・フルーティ・ホーム(仮)

ウェルカム・バック・フルーティ・ホーム(仮)

久しぶりに10時間ぐらい寝てました。
おはようございます…。

昨日の夜、家に帰ってきて、焼きおにぎりとカップ味噌汁で軽い夕食をとってから後の記憶がありません。多分、そのまま寝たのでしょう。だから記憶がない。そりゃそうだ…。

なんとなく起き抜けの感想としては、
八日間も帰省していた割には、割とあっさり、なんというか、こう……
帰ってきてしまったな…という感じです。
まあ、実家に帰省してただけなの

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Day3. 10:04 久方の——

Day3. 10:04 久方の——

夜が明け——

のどかな朝がやってきた。

久方の 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ  紀友則

あるいはこんな歌が心に浮かんでくるのは、

宿の温泉の、脱衣所のロッカーが和歌だったからか。

あるいは昨日の充実、もとい、忙しない旅のスケジュールが影響して、反省を促すように僕にそう詠ませるのだろうか。

考えれば考えるほど、いま、この歌が口をついて出たのが偶然とは思えず興味深かった。チ

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Day2. 20:11 会席、暗夜航路

Day2. 20:11 会席、暗夜航路

この写真が残っているということは、

あれから、なんとかして嵐山の宿まで辿り着くことができたらしい。

それにしても遠かった…。

嵯峨嵐山駅に着いた頃にはもう、辺りは暗くなっていた。繁華街と違って、ここでは夜になれば人影もまばらだ。ぼうっとした闇の中を、水を掻き分けるようにして進んでいく。心細かった。昔、人が舟で海を渡っていたときの感覚は、こういうものだったのだろうかと、おもむろに思いが及んだ。

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DAY2.14:52 賢者たちの一服——

DAY2.14:52 賢者たちの一服——

「まるで夜のカフェテラスだな」

茶菓子と、皿。

深い青に黄色といえば、この色の対照を好んで用いたのはゴッホだった。そんな連想からふと、この一枚の絵が頭に浮かんできたのである。奥に座る友人はいまいちピンときていない様子だったが、説明するには僕がiPadを操って、ほら、と、フォルダからこの画像をちょっと見せてやるだけでよかった。簡単なことだった。だができなかった。目の前の茶はたえず僕たちの動静を温

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Day2.11:13  いま、ここにある、光のなかで——

Day2.11:13 いま、ここにある、光のなかで——

——さあ、その先の景色を見に行こう。

…行こうとしたら、途中で風情のある光景を目にして、思わず立ち止まってしまった。

この窪んだ地形にも、かつては水が流れ込んでいたのだろう。古い石橋には人が一人、ちょうど通れるくらいの幅があった。今では水は枯れ、草木も土も荒れてしまったが、左右に歪み、朽ちかけてもなおこちらとあちらを渡そうとする石橋の姿には、過去と現在を架け渡す、もともとこの石橋がもっていたの

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DAY2.8:22 いま、ここにはない、フレンチの皿を巡って——

DAY2.8:22 いま、ここにはない、フレンチの皿を巡って——

きっかけは些細なひと言だった。

「フレンチの皿って、なんであんなデカいのにちょっとしか料理のってないんだろう」

祇園の夜から一夜明け、ホテルで迎えたこの旅最初の朝。
ビュッフェスタイルの朝食をそれぞれ思い思いに皿に盛り、ラウンジの空いている席に落ち着いたところで、向かいのFがそう切り出した。

「ほう」

と僕が適当な相槌で先を促すと、

「たとえば西洋の美術だと、もっと画面全部つかってびっし

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Day1.20:19 彷徨える祇園

Day1.20:19 彷徨える祇園

東山を下り、祇園で飲む。一日目の晩餐として。

店で注文した日本酒の名前が「古都」。この地にふさわしい名だ。そこから話は、同名の小説を書いた川端康成と、彼と交わした会話がきっかけで京都を旅した画家、東山魁夷へ。

そして気づけば僕たちは、旧電波塔も延空木も無い京都で、「リコリス・リコイル」の話をしているのだった。

それでこそ飲み、というものだろう。

第6話で、主人公の女の子がもうひとりの女の子

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Day1.16:14 SHIGURE——シグレ↓——

Day1.16:14 SHIGURE——シグレ↓——

いつも人に言うとき、ショウレイインだったか、ショウインレンだったか、よく分からなくなる。混乱していると助け舟を出すどころか、いや、セイレイインじゃないのか、としまいにはふりだしに戻ろうとする自分が現れ、もう脳内でこんな処理をしていることじたいが億劫に感じられてくる——そんなあまりにも不毛な懐疑、それじたいに嫌気がさした結果、僕はいつしかそこへ行きたいんだと人に話すことすらしなくなっていった。

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Day1.12:44 SHIBIRE—痺(シビレ)—

Day1.12:44 SHIBIRE—痺(シビレ)—

今回の旅の同行者「F」と合流する。名古屋で乗り換え、自由席に落ち着いたところでメッセージを送ると、まもなく同じ新幹線に乗っていることが判明し、降りた駅のホームですみやかに落ちあうことができた。再会の挨拶もそこそこに、高いテンションのままランチに洒落込もうとする。駅舎を出ようとすると、京都の街は激しいゲリラ豪雨に見舞われていた。Fが調べてくれたお店で京野菜を堪能するはずだったがその予定を変更し、僕た

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Day1.10:34 長野越え

Day1.10:34 長野越え

いったい、いつ以来の三連休だろう。リクライニングした座席にうずもれて、ぼんやりとそんなことを考えているうちに、景色は矢のように通り過ぎて行った。窓の外には、いつのまにやら見たことのない景色が広がっている。進行方向左側の、窓側の席に座っていた僕は、地上を見下ろしながら天球を走る太陽の日差しに耐えかね、もう随分と前からカーテンを引いていた。だからそもそも景色など眺めてはいなかったのだけれど、反対側の座

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久しぶりにTw○tterを開いた哲学者

久しぶりにTw○tterを開いた哲学者

ふむ…これは。
……。
つぶやくか…。

タイムライン上を流れてくる短い映像が、人々自身の願望や、それによって刺激される好意的なイメージともし無関係でないとすれば、現在の世界では、男は肉体の一部である筋肉を盛り上げることに、女は同じく肉体の一部である足や腰を細くすることに、どうやら過剰な情熱を注いでいるらしい。

これについてある友人に話してみたところ、彼は少し考えるそぶりを見せたあとで、
「ダイ

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Winner’s vain

Winner’s vain

あのとき僕の人生ではじめてできた友達が泣いていた。
その本屋は坂道の住宅地の真ん中にひっそりとあり、知っていなければけして見つけられないような場所にあった。母の運転する車で着くと、ゆうとくんとお母さんが左のドアから先に降りた。僕と母も降り、母親同士が前で並ぶと、僕とゆうとくんもその後ろを並んでついていった。 森の中の小屋みたいだ。三階建ての、縦に長い僕の家よりもずっとひろく感じる。奥には暖炉もあっ

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