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「自ずから然り」

平行線のままな日常に「色」を取り戻さなければならなかった。

かつて日本が異国からの脅威を遠ざけるために、正確には外来思想を抑えるために「鎖国」を行ったのと同じように、外界から閉ざされた生活をしている状態が続いている。

つまり「同じ習慣を決まった時間にやる」、その繰り返しであったゆえに、いつかこのままだと腐って枯れていきそうで、そんな日常を一度破壊せねばならなかった。

変化こそ生きる源泉だ。世界は絶えず変わり続けている。生きる力を取り返すためにもその行為は必要十分条件だったのだ。

そんなわけで、二つの展覧会を拝見するために久しぶりに東京へ足を運んできた土曜日の昼下がり。この日の自分の主題は「自然と色彩感覚」にすることにした。

一つ目の展覧会は、日本のあらゆる自然を写真に収めた展覧会。海、空、森、渓谷、そういった類のものをあらゆる角度で、瞬間的に捉えたものを展示しているものであった。二つ目の展覧会は、「色」をテーマにした展覧会であった。被写体を猫にし、背景・色の変化を組み合わせた様々なバリエーションで描かれている作品や、街中の写真など、様々であった。

どちらも非常に感銘を受けた展示だった。足を運んでよかったなと思っている。


このような類の展覧会に足を運ぶ時に、必ず何か一つ自分の中で主題を持って帰るようにしている。それこそ、今回であれば「自然」である。

辞書的な意味を並べると、「人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態」「他の力に依存せず、自らの内に生成・変化・消滅の原理を有するもの」「人間を含めての天地間の万物」そういった意味があるようだ。

しかしこれはすでにある定義である。自分にとっての自然ってなんだろうってことをふと考えていた。

生い茂った森、絶え間なく流れてゆく空の雲、絶え間なく波打ち際を目指してやってくる海の波を眺めている様子を、自分の記憶倉庫から引っ張り出しては向き合った。

一つだけ見えたことは、そこには一度として同じような描写がないということだ。

もちろん場所的には同じ場所なんだけれども、その日その日によって感じる印象や霊性、記憶の定着が違う。つまり全く同じ日というのは一度も訪れやしないのだ。気温、天候、時間帯によって日々流動的に変化している。

人間も同じ、全く同じ体調で全く同じ日常を送るなんてことはない。その日その日のドラマがあるわけで、生を受けているからこそ、常に日常は違っている。

そう考えるとするならば、森や海や気候、つまりそういった類のあらゆる「自然」は生きているとも解することができる。つまり自分に取っての自然は「生」だと認識している。


あなたにとっての自然とはなんだろう?ふと心に手を当てて少し考えてみてほしい。


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