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ハマったゲームから自己分析してみた

“好きなことを仕事にしよう”みたいな自己啓発書に「ずっとやっていても苦にならないものがあなたの好きなことです」的なことが書いてあることが多い。

私にとってのそれは何かなあと思った時、ふと浮かんだのは「ゲームのレベル上げ」だった。
ゲーマーというにはほど遠いが、それなりにゲームをしたり、実況動画を見たりする。
中でも、多くの時間を費やしたのはポケモンだ。小学生の頃に「ルビー」を買ってもらって、それはもう夢中で遊んだ。やりすぎて親にゲームボーイアドバンスを隠されたりしたけど、気合いで見つけてトイレに籠城してやっていたりしていた。懐かしいな。ポケモンたちをレベル100にすることに命をかけていた。
それから周りの同級生がどんどんやらなくなっていったけど、高校生の初めくらいまではやっていたと思う(ハートゴールドくらいまではちゃんとやっていた)。

それから月日が空いて、現在。
Switchを手にした私は「シールド」をプレイしている。グラフィックの著しい向上やシステム面の改善にめっちゃ感動したのは記憶に新しい。
ちなみに、私はそこそこやり込むタイプだ。実はポケモンというゲームは非常に奥深く、パーティ構成や技、能力パラメーターの振り方などのカスタマイズ性が無限大にあり、これが、凝る人にとってはたまらなかったりする。語り出すと止まらなくなってしまうので、ここら辺でやめておく。

自分の理想のパーティを作るため、育てるために、何百時間もゲームに時間を費やした。もちろんお金になるわけでもないし、見る人から見たら「時間の無駄だろ」と思われるかもしれないけど、私にとってはそんなことどうでもよくて、ただただ楽しいのである。なんでこんなに夢中になれるんだろうと、自己分析してみた。大前提として、ポケモンの世界観が大好きというのは勿論なのだけど、理由を挙げるならさっき書いた無限のカスタマイズ性かな、と思う。

ここでちょっとハッとしたというか、前の記事に「私は自分の世界を自分で組み立てることが好き」的なことを書いた。自分の理想のパーティを作るために、戦略や能力の振り分けを考える、まさにそれなのである。
さらに前の記事では、「自由すぎても不幸なので、人生には縛りルールが必要」的なことも書いた。これもまさにそうで、ポケモンもパーティは6匹までしか使えなかったり、覚えられる技が4つしかなかったり、意外と制約が多い。でもそこを試行錯誤するのがめちゃくちゃ楽しいのである。
ちなみに、あつ森も自粛期間中にはガッツリやったのだが、私にとっては自由度が高すぎて長続きせず、今はやらなくなってしまった。すごい、当てはまってる。無意識に悟っていた。前の私凄いかも、と不覚にも思ってしまった。

多分私は0から1を作れる人間ではないのだと思う。絵も描けないし、図工とか美術も得意ではなかった。天啓のように革命的なアイデアを思いつくタイプでもおそらくない。
でも1から30くらいを組み合わせて、楽しみながら自分の世界を表現するのは得意なのかもしれないと思った。

というふうにゲームから自己分析をしてみた。ちょっと楽しかった。

梨女(@xxnashimexx)



ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。