心には好きなものを好きなだけ
最近、「心は宝箱のようなものではないか」と思うようになった。
あまり多くを入れることはできないけれど、好きなもの、大切なものを入れておく場所。
だからそこに、「嫌い」とか、ネガティブな感情を詰め込んでしまうのはスペースの無駄というか、勿体ないと思うのだ。
休職する前の私はバグっていて、ここにネガティブな感情ばかり詰め込んでしまっていた。
今ここで休んだら迷惑をかける、何て責任感のない奴なんだ、仕事ができない奴だと思われたくない(※これに関しては事実です)、とか。そんなものばかり。
休職して、じっくり休んでいく中でようやくこれらを消化されてきて、やっと今まで好きだった趣味とかが出来るようになったので、「あ、心には決まった容量があるんだな」と身をもって感じたのである。
あとこれは、自分だけじゃなくて対人関係にも影響してくるじゃないかな、とも思う。
心の宝箱が好きなものでいっぱいの人は、そもそもネガティブなことを考える容量が残っていないので、自分のやりたいことだけに打ち込むことができる。そういう人は、傍から見ても素敵な人に映るだろう。
私は「○○が嫌い」だったり、愚痴ばかり言っている人を見かけると、心がざわざわするというか、私も嫌な気持ちになってしまうので、その人とは少し距離を取りたいと思ってしまうことがある。
当たり前だが、人間は聖人君主なんかでは無いので、嫌いって言うな、愚痴を言うな、と言いたいわけではない。勿論、私も愚痴を言うし、noteでも、わりかしネガティブ感情をぶちまけてしまっている。
要は程度の問題ではあるのだけれど、常日頃そういった嫌な気持ちばかりGiveする人には人が寄り付かないというのもまた事実だと思う。
だから、自分のためにも、周りを幸せにするためにも、宝箱の中は好きなものだけで満たそう。いかに宝物を詰め込めるかで、人生を楽しく生きれるかが決まってくる気がする。
もし、満たすことが難しくて、嫌な感情ばかり詰め込んでしまうなら、それは、今貴方がいる環境や、もしかしたら貴方自身の考え方に問題があるかもしれないから、少し立ち止まってみるのもいいかもしれない。
梨女(@xxnashimexx)