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「妥協」ではなく「納得」で生きたい

人生は妥協の連続であると、誰かが言った。
それは半分あっていて半分違っていると私は思う。

妥協(だきょう、英語 compromise)とは、何かの物事を進めるにあたって、関係する双方の意見が食い違い、そのままではそれ以上の進展が望めそうもないときに、いずれか一方が自身の意見を取り下げたり、あるいは双方が互いに相手の意見を一部容認して、歩み寄りして、問題の打開を図ること。本当は不本意なことではあるが、窮地を打開するために、自分の主義主張を取り下げ、相手に一歩譲ること。
引用:Wikipedia

辞書的な意味だと、複数の人間の間の意見、見解の衝突についていうものらしいけど、自分の理想、願望といったような抽象的な観念と自分自身の現実との間の妥協といったものも、「妥協」して語られることがあるとのこと。今回言いたいのはこっちの方。

自分に対しての「妥協」には2種類があると思っている。
「納得したうえでの妥協」と「ただの諦めを妥協と言い聞かせている」の2つだ。両者には天と地ほどの差がある。というか、そもそも後者は妥協ではない。

別にこれは、読者諸君に自分のやりたいことを諦めるんじゃないと、綺麗事を振りかざすための記事ではない。何故なら自分にも特大のブーメランなのだから。ブーメランが突き刺さりながら、血を流しながら自分を戒めるためにこの記事を書いている。貴方は今、納得してその場に立てているだろうか。ちなみに私は全然納得していない笑。今までもただの諦めを妥協だと信じ込んで、人生なんてそんなもんだろと最初から諦めて気取ったフリをして、何も行動しなかった。変化が怖かったのかもしれない。というか、今でも怖い。

でも今、必死にもがいて、何かを掴みたいと、そう思っている。何かを行動した末の妥協ならば、それは納得した妥協だろう。行動する中で「それは自分に向いていた/いなかった」ということが分かったのだから。

梨女(@xxnashimexx)



ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。