走れ!バカップル列車 第1号 久留里線各駅停車
いまから17年前の夏、嫁みつこと私(当時の自称「おら」)のバカップル列車が
走り出しました。もともと別のホームページに掲載していたのですが、サーバーが閉鎖されてしまったので、2004年の第1号からこちらに投稿し直します。
一
私たち夫婦は仲がいい、らしい。
自覚はあまりないのだが、よく人にそう言われる。私たちのことを知る医者までが、こんなことを言う。
「うちの夫婦も親戚から言われてんだけどさぁ、すずきさんとこも仲がいいから、案外、『バカップル』って言われてるかもよ」
そこまで言ってもらえれば、光栄というべきであろう。むろん悪い気はしない。バカップルはバカップルなりに、地味に、細々と生きていこうと思うばかりである。
そんな私たちバカップルが、列車の旅に出ることになった。
最初から二人で行こうと考えていたわけではない。鉄道好きの私が密かに一人で出かけようと思っていた。もちろん、外泊を伴う旅行となると妻みつこさんに無断で行くわけにはいかない。
「みちゃん、おら、北海道に行こうと思うんだけど」
「いつ?」
「まだ決めてない」
「誰と行くの?」
「一人で」
「えー、やだ、みちゃんも行く」
ドライブと違って、鉄道や飛行機は二人で出かけると交通費が倍になる。一人で行こうとしたのは家計を考えてのことだ。しかもひたすら列車に乗るだけだから、よほど物好きでないと我慢がならないはずである。
「朝から晩まで八時間ずうっと電車に乗ってるんだよ」
「だって、うちに一人でいてもつまんないもん」
二人もいいが、北海道へ二人で行くだけのお金がいまはない。しかも、夏休みに入ってしまって、どこに行っても混んでいる。あまり遠出はしたくない。
悩んでいるところへ、とある鉄道関係の雑誌で千葉の久留里線にいまでは珍しくなったタブレット閉塞方式が残っていることを知る。私はまだ久留里線に乗ったことがなく、千葉なら東京から日帰りで行ける。手始めに二人で出かけるにはちょうどいい。
「みちゃん、じゃあ、久留里線に行こうか」
「くるり線?」
「うん、久留里線だよ。タブレット交換をやるんだよ」
「なあに、それ?」
「単線のレールで電車同士がぶつからないように、その区間を走れますっていう通行手形みたいなのがあって、古い方式で、いまでは珍しいんだよ。丸い輪っかがあって、それを駅員さんと運転手さんでやりとりするんだ」
「ふうん。それ、いつまでやってるの?」
「いつまで? わかんないなぁ。自動化されるまではずっとやってるはずだけど……。いったん自動化されたら、もうタブレットはなくなっちゃうんだよ」
「あ、そうなんだ。夏休みだけ期間限定でやってるのかと思った」
「信号の方式なんだよ。イベントじゃないよ」
そういう訳で、バカップル列車第1号は久留里線の鈍行列車に決まった。
二○○四年の夏は異常に暑い。梅雨が明けて間もない七月二十日には東京で39・5度を記録した。こんなときはどこにも出かける気をなくしてしまうが、楽しみに待っていた八月七日がやって来た。バカップル列車、出発の日である。幸い空は薄曇り。気温もやや控えめになってくれた。
今日はまず品川から京浜急行に乗って久里浜に行き、久里浜からフェリーに乗って房総半島に上陸する予定である。久留里線は内房線の木更津から出ているのだが、ただ木更津に行って帰って来るだけでは面白味に欠けるので、東京湾をぐるりと一周するようなコースにしてみた。
「お昼はどこで食べるの?」
みつこさんが言う。
「あ!」
うっかりしていた。プランを見直してみたが、昼ごはんを食べる時間はとっていない。
「困るなあ。みちゃんは、食べることがいちばん大切なんだから」
「す、すまんのう」
「じゃあ、少し早めに出て、品川で早めのお昼にしようか。品川はいろいろお店があったじゃん」
「うん、そうしよう。すまんのう」
最初は王子駅を11時半ごろの京浜東北線に乗ろうと思っていたが、30分ほど繰り上げて11時ごろの電車に乗ることにした。
京浜東北線の車内には東京近郊のJRの路線図が掲げられている。
「久里浜まで行くんだよね」
「そうだよ」
「久里浜から木更津まで何線に乗るの?」
路線図には横須賀線が描かれていて、久里浜で終点になっている。一方、千葉の内房線は南の館山の方まで延びているが、図では木更津の次の君津以南は省略されている。久里浜と木更津との間は海で、鉄道はない。
「東京湾フェリーだよ」
「え、船に乗るの? きょう?」
「久里浜から、浜金谷ってとこまでフェリーに乗るんだよ」
「そっかぁ。久里浜から木更津まで線がつながってないから、おかしいと思ったんだ」
品川に着いた。駅構内はとても広くなっていて、その中にあるそば屋でそばを食べる。
早食いしたからか、12時13分発の快特に乗る予定だったのが、一本前の12時03分の快特に乗れてしまった。電車は八ツ山橋の鉄橋を渡るとぐんぐんとスピードを上げ、瞬く間に時速100キロ以上の猛スピードになった。
京浜急行はスピード面、サービス面とも関東の私鉄では一番と言っていい。路線のほとんどがJRの東海道線・横須賀線と並行していて競争が激しいという理由もあるだろう。最近では、羽田空港へのアクセスにも力を入れていて、蒲田駅を改良したりして新たなサービスに力を入れている。
窓の外を眺めると京浜工業地帯の家並みがものすごい速さで走りすぎてゆく。
JRと違って、やはり私鉄だなと思うのは、線路が周辺の住宅ぎりぎりのところに敷かれているところである。これが国鉄の線路を引き継ぐJRだと線路の敷地に余裕があったり、高架区間が多かったりして、街並みとの間に若干の距離がある。だから、たとえば新幹線に乗ってもそれほど目まぐるしく景色が変わるという印象はない。ところが京浜急行だと地上を走るし、家も近いし、スピードも速いしで、景色がくるくるくるくる移り変わる。実際のスピードと、スピード感は違うのだ。じっと見ていると、本当に目が回りそうだ。
「船に乗る前に、もう酔っちゃいそう」
みつこさんはそう言って、居眠りを決め込んでいる。
横浜を出ると沿線には次第に緑が増え、地形の起伏も多くなる。この辺りから三浦半島までは丘陵地帯が続く。スピードもやや落ちて、トンネルがあったりする。
途中、能見台という駅を通過した。線路右側の丘の上にイトーヨーカドーがあって、「がんばれ横浜高校」という大きな垂れ幕が下がっている。甲子園に出る横浜高校の地元のようだ。今朝テレビを付けたら、高校野球の開会式を放映していた。野球をする高校生は大勢いるが、甲子園の土を踏めるのはほんの一握りに過ぎない。もちろん努力の賜物なのだが、何という幸運な人生だろうと思う。私の高校時代は、二十年もの昔になるが、大きな目標を目指すこともなく、何かをやり遂げたわけでもなかった。
(つづく)