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黒色の計画

「もし、そこの旦那!」

 夕刻。ロンドンの路地で、ふと呼び止められた。振り返り、苦笑して後悔する。なぜ振り向いてしまったのか。

 そこにいたのは、背を丸め、もじゃもじゃと白いひげを伸ばし、黒いぼろをまとった老爺だった。道端に机と椅子を置き、髑髏や干物、水晶玉など、怪しげな品々にうずもれている。そいつはしわがれ声でこう言った。

「悪い相が見えまするぞ。占って行かれませい」
「おれは占いなど信じぬ。魔術師は殺すべし、と聖書にもあろうが」
「さようでございましょうな、グイド殿」

 名を言い当てられ、ぎょっとする。驚きを隠して、尊大に答える。

「いや、そのような名ではない」
「しからば、ガイ殿、とお呼びいたしましょうか。ああ、わたくしはジョンでございます」

「貴様の氏姓を申せ」

「ディーでございます。先の女王エリザベス陛下にお仕え致し、今はモートレイクにて貧困のうちに寓居しております」

 老爺は深々と腰を曲げた。ジョン・ディー。あの悪名高い魔術師が、かように貧窮しておるとは。眉をあげ、蔑んだ声で冷酷に告げる。

「詐欺師めが、神罰が当たって乞食にでも落ちぶれたか。おれもスペイン帰りの下級将校で、懐具合は良くもないぞ。悪業の報いを受けておるがいい」

「お代は要りませぬ。あなた様の為す事に興味がござってな。わたくし、水晶玉の占いが得手でござるが……此度は、これで」

 ディー老人は、机のがらくたをかき回し、黒い手鏡を取り出した。ガラスのような質感で、つやつやと輝いている。

「待て、おれは占いなど」
「これは、西の海の彼方の蛮族が神と崇めた、悪魔の鏡でござる」

 老人はぐるぐると嗤い、眼球のない目を向けた。人のものとは思えぬ声。足がすくみ、動かぬ。やつの魔力か。

 黒い鏡から、黒煙が噴き出した。戦場で嫌というほど嗅いだ硫黄と硝煙のにおい。地獄のにおいだ。続いて鏡の中に、髑髏の顔をした悪魔が現れた。

『願いを言え。叶えてやろう!』

【続く/800字】

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