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左手に箸

数週間まえに一度触れた「猟師の食卓」の場面をあらためて眺めてみたい。

食卓を囲む一家団欒の様子だ。ただ、その一家の主である猟師の左手に握られたのは、はたしてなんだろうか。食事に向かっているので、箸だろう。だが、それはどうして左手の中に収まったのだろうか。まさか主人公が左利きでもなかろう。(『粉河寺縁起』第一段)

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画面をより丁寧に見つめれば、やがてその答えが見えてくる。俎板の右の端に庖丁が置いてある。男は右手で椀を持ち上げてはいるが、それを下に放せば、自然と庖丁を持ちあげるということだろう。現代風のダイニングテーブルに置き換えて考えれば、まさに西洋料理に向かってのナイフとフォーク、箸はフォークの役目を果たしていた。あえていえば食器の使い分けの日本古代バージョンだ

しかしながら、食卓の上において庖丁と箸を揃えて持ち出すという状況は、じつはかなり珍しい。一方では、食卓とは切り離された、料理を用意する厨房での風景として、これはまさに定番なのだ。庖丁と箸を操る料理人は、仕上げた料理を自分の口に入れるのではなく、料理は貴人が待つ席に運ばれていくものである。

絵巻に描かれたそういった厨房の様子は、それなりに例が多く、『後三年合戦絵詞』(上巻第二段)、『酒飯論』などがあげられる。それらを一々並べるよりは、ここにとりわけ過激な、おそらく一度見ればけっして忘れられない一場面を紹介しよう。益田家本甲卷『地獄草紙』(解身地獄)である。

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数ある地獄のなかで、ここで裁かれるのは、生きている間に殺生の罪を犯した人びとである。その懲罰の内容は、まさに惨たらしくて、想像するだに恐ろしい。画面に添えられる詞書によれば、それは「えたをとき、ふしをはなち、分々にきりくたきて、いさこのことくになす(肢を解き、節を放ち、分々に切り砕きて、砂の如くに成す)」と、つまり罪人の体をを段々に切り離し、それをさらに細かく切り刻むというものである。しかも裁きはここで終わらない。さらに庖丁と箸を握る鬼は俎板を叩いて呪文を唱えれば、刻まれた人間はなんと生き返り、同じ懲罰が繰り返されるのだ。

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人間が俎板に載せられるというのは、まさにとびっきりの想像であろう。ただ、このような破天荒な状況は、思えば無から来るのではなく、実生活の中に対応する原型がなければ、構図が成り立たず、そもそもこれを見る人からの理解が得られない。これについての回答も明解だ。上記の詞書ははっきりと「いをのなますのことくにつくる(魚の膾の如くに作る)」と述べた。現実の生活における魚のさばき方を、対象を魚から人間に、料理する者は人間から鬼に置き換えられただけのことだった。

厨房の風景としての庖丁と箸は、さらに展開を見せた。『徒然草』(二百三十一段)を読んでみよう。

園の別当入道という高名な料理人がいた。ある日、ある貴人のところに珍しいぐらいの鯉が届けられたということで、これを料理するために入道が招かれた。兼好の記述は、その入道がわざとらしい対応をしたことへの批判が主眼だった。兼好が説く理想とする身なりや処世の心構えはさておくとして、ここで料理への視線に注目してよかろう。(『徒然草絵抄』下巻九十五段)

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『徒然草』の文章には、「皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思(ふ)」とある。料理することを「庖丁」(箸が抜けたことにはいささか残念だが)、料理したものを賞味するまえにそのプロセスを見物する、ここに料理が思わぬ変身を遂げた。人目から離れる、普段の視線から遮断され、関心があっても形にならないはずの厨房の風景は、一つの出し物と生まれ変わった。ここに日本ならではの一つの飛躍があったと考えたい。

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