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箸を削る

「箸と魚箸」において、「箸は度毎に新しく削り用いる」という「日本古典文学大系」の注釈が「いささか突っ込んだ」と書いた。この疑問を反芻するうちに、さっそく貴重な画像に出会った。

まず同注釈を読み直そう。上記の説を支えるために、注釈は二つの関連証拠をあわせて提示した。『今昔物語集』巻十二第卅三話、巻三十一第十二話である。前者は、増賀上人の話である。商人は叡山を離れ、「多武ノ峰」に移って新たな開拓を決行し、そのため苦労も厭わなかった。その詳細として、「木ノ枝ヲ折テ箸トシ」との記述があった。箸もないなか、木の枝を材料に代用を求めたとのことである。後者は、鎮西(現在の九州地方)の人が商いをするために「不知ヌ世界」を探し求め、そのような島に登ったら、さっそく手分けして島の様子を確認したり、「箸ノ□伐ラムト」したりする行動に出た。この場合、大事な言葉は欠文となって不明になっている。箸の材料でも入手しようとしたのだろうか。いずれにせよ、ここですぐ分かるように、二つの説話はともにある種の非日常的な状況を伝えたもので、箸がつねに新たに作るということの証明には必ずしもならない。

そこで注目したいのは、つぎの場面である。

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これは東京国立博物館所蔵の「紙本著色法然上人絵伝」(鎌倉時代)第三段の一部分である。土佐から京都への帰還が叶えられた法然は、病床につき、その彼を看病するためにまわりの僧侶たちは心を尽くし、ありったけの配慮を配った。それを表現するには、厨房の様子が描かれた。若い僧は慣れない手つきで何らかの野菜を切り刻み、火の上に据えられた鍋ではなんらかの煮物と思われるものが焚き上げられ、その向こうに別の僧が箸を操って盛り付けをしている。若い僧に叱咤をかける年上の僧の表情には緊張感があって場を引き締めている。そして、一番手前に座っている男は、まさに一心不乱に箸を削っている。

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この部分を拡大してみた。いくつかのことに注目したい。まずは男の左手に握られたのは、その材料やサイズからにしてあきらかにすぐ傍に置かれた薪とは異なる。それから、その本数は三本と数えられ、複数のものをまとめて作るという制作のプロセスが伺えられる。しかしながら、一方ではこの箸の用途は今日のわたしたちにはすぐには伝わらない。はたして盛り付け用のものだろうか、はたまたまな板の前で庖丁を握っていながらもまな箸を持っていない若い僧のために急いで用意したのだろうか。

この厨房の先に展開されたのは、畳みの上に横たわる法然と、そのかれを囲んだ僧侶の面々である。この段の詞書は、厨房のことにはいっさい触れず、病床の法然についても、「老病」、そして念仏をもって「身心に苦痛な」いと、簡略だった。法然とその弟子との交流は、ここの場合、絵において詞以上に詳細に表現されることになる。

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この場において、大きな分量の食べ物はかなりの存在感を示している。それは衆人が囲む炭火の上に設えるだけではなく、棚や板敷の床にまで広がっている。ただ、いくら目を凝らして探してみても、箸の姿はどこにも見かけられない。

この絵巻は東京国立博物館の公式サイトでデジタル公開されている。厨房の場面はこのリンクである。システムは数週間前に更新され、これまで以上に快適に閲覧することができる。ぜひお試しください。


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