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本当の友だちと、氷室冴子『さようならアルルカン』


ときどき読んでいるネットの人生相談で、「本当の友達が欲しい…」17歳の女子高生……なんて記事が目に入り、私が、ふと思い出したのが、氷室冴子『さようならアルルカン』です。思い出すだけでも、中2的なヒリヒリした感じがします。

『さようならアルルカン』の主人公は中学生の内気な女の子。いいたいことをいえず、周りにあわせて受けもいい。でも、彼女のクラスには1人、はっきり自分の意見を言う、頭のいい女の子がいて、主人公は彼女にあこがれていました。

ありがちな話ですが、クラスメートや先生たちは利発すぎるな女の子を煙たがって、「普通にするよう」=自分の意見を遠慮し、頭の良くないふりをするよう押し付けます。結果、彼女は「明るくて楽しいキャラ」を演じるようになってしまいます。

主人公は、彼女が悪い方に(でも、まわりはいいと思っている)変化を悲しんで、「内気」だった自分も、実は自分を偽っていたことに気づきます。だから、高校へ進学して本当の自分を出すように努力します。一般受けしないはずの「本当の彼女」。でも、彼女はあこがれの女の子に、本当の自分で再会できるのです。

私も中学校の頃、「本当の友達が欲しい」って悩んでました。本屋のない小さな村だから、一緒に本を読んで感想を言い合ったり、勉強をがんばるような友達が、小学校から中学まではいなかったので。

他のみんなはアイドルとかが好きで、『マーガレット』とか華やかな漫画が好きで、ちょっとませた女の子は『オリーブ』とかおしゃれな雑誌や女性週刊誌なんかを教室に持ってきていましていた。

私の好きな『花とゆめ』や『プリンセス』のコミックスを貸してくれる友達はいたけれど、漫画の話以外の部分であわなすぎました。お姉さんがいて、おしゃれな音楽を教えてくれる友達はいたけれど、その子にとって私は一番仲良しではなかったです。

そんなわけで、中学時代は自分が好きでもないアイドルとか、漫画の話題にも適当に知ってるふりして、勉強もあんまり目立って風当たり強くならないように、仲間はずれにならないようにして、先生の間違いを見つけても黙って目をつけられたりしないようにしました。

まわりになじめない自分は大嫌いだったし、私を妙にもちあげて優等生扱いして、やんちゃなグループとの防波堤にしようとする先生も嫌いだったし、なにかにつけてわかったようなことを言う母親も嫌いでした。

そんな中学時代、氷室冴子さんの『さようならアルルカン』は私の救いでした。中学校で自分がうまくやれなくても、それは自分だけではないし、高校に行けば気の合う友達を見つけられるってことを教えてもらえたから。

もちろん、それは小説の中の物語で、現実の自分とは何の関係もないのだけれど。でも、そうやって都合よく「誤解」して、希望が持てました。一人でいることはかっこ悪くないし、自分をごまかして誰かと一緒にいることのほうがかっこ悪いことも理解できました。

実際、高校生になったら、環境がガラリと変わったので、好きな本を読み合って、あれこれ感想を言い合える友達ができました。大学生になったら、もっと親しい友達ができました。専門的な知識を得たら自分の世界が広がりました。結婚した今では、夫や娘も氷室冴子さん大好きです。

ただし、仕事関係で友人つくるのは難しいですし、ママ友ってもっと難しかったです。自慢じゃないけど、ママ友って一人もいません。氷室さんの作品は青春時代がメインなので、私の友人関係もお手本がなかったんです。

氷室さんがもっと長生きしてくれていたら、等身大の、大人の友人関係について書いてくれたんじゃないかと以前は単純に思っていたけれど、文章を書いて仕事するようになると、人には書けるものと、書けないものがあるって理解できるようになりました。

あの氷室さんに得手不得手があるなら、私にも得手不得手があっても当然です。映画は夫や娘と一緒にみるし、映画の内容によっては友だちのAさんと出かけます。仕事の相談で困ったらB先輩に相談し、内容によってはCさんやDさんに愚痴ってみる。大人の友だちのおつきあいは、私の場合、そんな感じです。


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