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直木賞をめぐる日常。『ありきたりの痛み』東山彰良

夕遊


東山彰良さんの『流』を読んで興味をもったときに、ちょうど台湾学会(関西部会)での和泉司先生の報告が、すごく的を得た解説と批評だったので、東山彰良さんの他の本もチェックしてみました。

第153回直木賞をとった『流』は、それまでのハードボイルド路線やアメリカ音楽路線の延長線上のあるそうですが、私はヤクザっぽいノワールがあまり好きじゃないです。ただ、台湾と日本をめぐる話は好きです。

なので、本書『ありきたりの痛み』のように、東山彰良さんが直木賞をとって一変した日常を、エッセイで読めるのはうれしいです。なにかの受賞を境に日常が変わった話は、確か海堂尊さんも、自分の作品のあとがきか何かに書いていたと思います。

ふつうとちがったことをはじめようとすれば、他人から笑われることがあります。でも怖がらないで。嘲笑はあなたが彼らとはちがう存在なのだという証明なのだから。彼らの嘲笑を誇りに思ってください。(244頁)

これは確か、台湾の大学で講演したときのコメントらしく、twitterで流れてきのを見たことがあります。「サンタクロースの失敗」みたいな子供の頃のエッセイや、自分が非常勤講師をしている大学で、学生さんたちがサプライズでお祝いしてくれた様子とか、台湾・香港・アメリカの親戚から、山のようなお祝いメッセージが届いた話は微笑ましいです。

中でも、東山さんの本を中国語訳する王さんの話がすばらしいです。二〇年で四百冊以上の日本語の小説を翻訳した王さんは、他人と交わるのが好きではなく、一人で机に向っているのが好きだとか。そんな王さんについて、東山さんは翻訳に対して真摯で、愛嬌があって、好感がもてると言っています。

小説は孤独な作業と言われるが、孤独を感じたことはない、と。大勢の中に交じって比較対象が増えたほうが孤独を感じるという。そんな感性は、私もいいなあと思います。

断っておくが、小説を書かなくてはならないのは、けっして幸せな精神状態ではない。アルコール依存症が幸せな状態じゃないのとおなじ意味で。だけど、小説を書いているその瞬間は間違いなく幸せで、小説を書き続けられるのはこの上なく幸せなことだ。もしそのチャンスを奪われたら、作家は途方にくれてしまう。(21頁)
映像が目に浮かぶ小説を書くのはたやすい。わたしにとっての問題は、音楽が聴こえてくる文章が書けるかどうかなのだ。体臭のする一文、血の様相を帯びた一言、世界をぶつ切りにする句読点―—それは小手先のことではなく、魂の問題なのだ。
 書け。
 才能なんか関係ない。
 書け。                (19頁)


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