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何をして生きていきたい?

仕事や肩書きはその人がどういう人なのかを推し量る上で大きな材料になると思う。だから必ずと言って良いほど、人は初めて出会った人に尋ねる。

「お仕事は何をされていますか?」

一つの職業に拘らず、いろんなことをしていきたい私は、この質問が時に煩わしく感じる。

人に自分を紹介してもらうとき「地域おこし協力隊の〜」とか「おでんの〜」といろんな紹介のされ方がある。自己紹介の時も大体同じ。どの肩書きで紹介するかによって相手との関係性や印象もガラリと変わってしまう。どれも私だけど、どれも私を構成する1つの要素に過ぎないのに。

同様に「何をして生きていきたい?」という質問にもうまく答えられない。これは贅沢にも、どれも強い希望を持って手に入れた肩書きではないからかもしれない。

あえて肩書きを入れていなかった名刺

そもそも、私の今の生活があるのは全部コロナのおかげだ。(ちょっと不謹慎かもしれないが許して欲しい)

たまたまコロナのせいで失業して、食い繋ぐ方法を探し求めた結果ライターという仕事を運よくさせていただくことになった。以前から通っていた曜日で店主が変わるおでん屋で働けるようになった。福井に来て地域おこし協力隊になった。

前々職で編集社の仕事を間近で見ていたので憧れはあったが、まさかこんな形で文章を書く仕事をするなど思いもよらなかった。

ライターになるためには特に必要な資格はない。書きながら経験を積んできたので、ライター養成講座などに通ったこともない。それでもありがたいことにたくさんの方のご指導でこれまでやってきている。

個人事業主として開業した際、名刺にはあえて肩書きを一つも書かなかった。これから先もたまたま出会う仕事があるかもしれないから。

文章を書くことは嫌いじゃないけど。

しかし最近は、名刺にも地域おこし協力隊と入れてしまったし、「もともとライターで...」と、地域おこし協力隊になるたった数ヶ月だけ長くやっていた仕事をさもずっとやっていたかのような言い方をしがちだ。

何がしたい?何がやりたい?という自問自答の上での自己実現ではなく、「生きるため」にしてきた理想の仕事のあり方が、気づかぬうちに東京で苦しんでいた頃と同じ「実態の無い自己実現のため」になっている。

地域おこし協力隊として街の情報や移住した自分の生活を色々な方法で発信することに始まり、雑誌のお仕事や、さらには地域の方々からもお仕事をいただくようになって、生活も安定して、なんだか欲が出てしまっていた。

お仕事をいただくのが楽しくてしょうがない時期を通り越し、今は自信がない。自分の仕事のできなさに辛くなる。文章を書くことを苦痛に感じることもあるし、全然良い文章が書けないことも多い。特に強く感じるのは、感情の希薄さだ。最近自分が書く文章が自分で読んでいて面白くない。

文章を書く技術というよりも、物事に対する感情が希薄なのが文章に表れている感じ。

こんな取り止めのない感情ですらも出てこなくなっていた。

次のフェーズ?

ようやく、こんなことが書けるようになったので、回復の兆しはあるのかもしれない。曲がりなりにも1年やってきて、未経験からの数をこなして獲得してきた知識や技術では限界を感じているのかもしれない。

一方で、1年以上続けられているこの仕事は、少なからず私の1つのナリワイとして定着しつつもある。ここらでぎゅっと頑張らないと、次のレベルにはいけないのかもしれない。

目の前の暮らしを精一杯楽しみたい。でも、何のために次のレベルへむかうのか?何をして生きていきたいか?という問いにはまだしばらく答えられなさそうだ。





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