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センスは作ることができるという話

先日、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部1年次の必修講義(!)でゲストにお呼ばれしてきた。今年3年目だ。

講義の内容は「掘る」。ポピュラーカルチャー学部は音楽コースとファッションコースに別れるのだが、音楽やファッションに関わるにおいて、まずは色々なものに触れよう、音楽をたくさん聴いてみよう、その出会い方を知ろう、という趣旨である。

講義の内容に簡単に触れると、現在の音楽産業の概要(数字の話、フィジカルがどうとか、デジタルがどうとか)から入り、フェス、メディア、ブログ、Bandcamp、SoundCloud、SpotifyやApple Musicに代表されるストリーミングサービスをドタバタと紹介しながら情報の流れを見ていく、といった感じだ。

「掘る」というのはとても良いテーマだと思った。音楽やファッションのような芸術的な側面をもつカルチャーに関わるのであれば、これから独創性とか創造性、あるいはセンスや直感と言われるものが必要になってくるだろう。もしかしたらアイデアがでてこない、自分にはセンスがないと落ち込むこともあるかもしれない。

しかし、センスや直感と言われているものは生まれつきのものではない。後天的なもので、それらの発達は周りの環境に左右される。もちろんそこには家庭環境や学校、地域の特色といった、自分では変えることのできないものも含まれているが、10代後半からでも作ることはできるはずだ。センスも直感も自分の経験から導き出されるものだ。

結局のところ引き出しの多さがモノを言う。それらの組み合わせからセンスが誕生する。それらを参照することで直感が生まれる。

引き出しを増やすには、いろんなものに触れていくしかない。聴いたことのない音楽、触れたことのないテクスチャ、やったことのないゲーム、読んだことのない本、話したことのない人、行ったことのない場所。どんなことでも良い。興味が少しでもあったら、積極的に色々なものに触れていくべきだ。多少でも興味があって体験したものは、あとで振り返ってみると意外とつながっている(それは意外と早く実感する)。自分は裏切らない。生まれつきの天才もいるが、彼らは、たぶん、前世の引き出しが残っていたのだろう。

僕たちの頭は、自分が知っていること体験したものから作られている。

何歳でも遅くはない。きっと多くの人の心を動かすものを作ることができるだろう。これはおそらくAIにはできない。全く関係のないものを結びつけ、意味付けをしていくのはまだまだ無理だ。安心して欲しい。


すごい良いこと言ってる、ぼく。写真は関係ない!


また一歩、天国に近づくのです...💃