自死を選ぶ心の深淵

ここに来る事を1年以上放置してましたね。
すっかり忘れてた。w

自死を選んだ人の記事の後に、いのちの電話などの
連絡先を書いたりしているのをよく見かける。

昭和の頃は、ある女性アイドルの自死で、ファンが後追いの
自死を選ぶことがあった。それも結構な人数で…。
生きることに失望する人は、昔から一定の量で存在する。
だから、いのちの電話などの連絡先を書いて居るというのは
理解できるのだが、そこに相談しようと思う人は、
まだ生きる希望を持っているんだと思う。
もしくは話を聞いてほしいだけなのかもしれない。
そういう逃げ場があるのは大事だと思う。

絶望した人には、その場所が見えないだけのこと。

悩みを抱えて相談に行ったとしよう。
死にたいと思うきっかけや悩みを全部喋った。

この時に相談員が、少しでもこの程度の悩みでとか、
他にも苦労している人は居るなんて事を
感じてしまうと、あっさりと気持ちを見透かされ、
相談に来たことが失敗だと悔いる結果となる。

悩みの程度に差はあれど、そこに至る経緯や時間、
我慢の度合い等様々な要因が重なって、心の奥に
押し込んだ苦痛というのは、いくら饒舌な人でも
相手に100%伝わることはないし、完璧に伝えたとしても
すべて理解できるものではない。

なのに、相談を受けた側の価値観、経験談を聞かされたところで
およそ解決に至ることは稀有だと思う。孤独を増長させるだけ。

絶望した時、その人は情報を遮断する。
期待することを止めるからだ。

自死をしようと決めた時に、心が軽くなって
回復したように振る舞う事がある。
これはもう今生に未練がない、悩む時間も
あと少しと思うから気持ちが軽くなる。

そして一人になる時間を作り、決行してしまうのだ。

電車などに飛び込む人は、周りに人が大勢いても
その存在を感じる五感を遮断しているんだろうなと思う。
なぜなら、自分が飛び込んだあとの状況など考えないから。
考える余裕があれば、飛び込むことに恐怖を感じるものだ。

芸能人の縊首が続いたので、思わず書いてしまったが、
彼らも残された人のことを考える余裕を無くしたのだ。
もしくは、生きることが迷惑と思ったかもしれんが、
それを知ることはできない。

希望を持つことは生きる上で大事なこと。
絶望は気持ちの自死とも言える。

いやらしい解釈をすると、希望の「希」の意味は、
稀、めったにないということ。望みが叶うことは
稀なのだ。だから努力するとか、考える事が必要。

努力すれば必ず叶うと言う人を、私は信用しないけどね。

生きることは苦行、自死は修行放棄と書けば
宗教臭くなるな。

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