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批評性を持ってデザインのエアポケットを楽しむ。

社会人にデザインの知見を、という想いで講師と学生が共になって日々の学びを深めているXデザイン学校。実際にどんな学びがあるのかという教室の声を届けていく、クラスルームインタビュー。第21回目は講師をされている上平崇仁さんです。


上平崇仁さん
専修大学ネットワーク情報学部教授。筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て現職。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学を背景とした自律的なデザイン理論の再構築について研究している。日本デザイン学会情報デザイン研究部会幹事。㈱ACTANT デザインパートナー。

現在、どんなお仕事をされていますか?

主に大学教員として働いています。大学院を出てデザイナーを3年間ほどやった頃に共同研究していた先生からお誘いがあって、前に勤めていた大学の芸術学部で働き始めたんです。3年ほど経って“だんだんこれからデザインというのは美術大学でやる時代じゃなくなっていくな”という感覚が生まれてきて。そんな頃に縁あって専修大へ移りました。学生の頃に関心があったのは視覚言語で、それを裏側で成り立たせている人間の認知の仕組みに強い興味がありました。美術と認知科学が交わる領域ですが、筑波ではいろんな学部があって図書館も充実していてありがたかったですね。何かと何かが交わる部分を探究したいという関心は学生の頃から変わってない気がします。


作為性を意識することの、大切さ。

その頃はどういう時代でした?

1990年代の後半頃かな。インターネットがだいぶ普及して、みんなウェブサイト作れるようになってきて情報爆発とか言われ始めた時代。これまでの情報量が何千倍になるぞということで、その複雑な情報・多過ぎる情報をいかに受け手に分かりやすくするかというのが情報デザインの一つのトピックとしてあったんです。そういう流れで当時はインフォメーショングラフィックスやダイアグラムと呼ばれる、複雑な情報を整理整頓したり、楽しく分かるように工夫して図にすることに関心がありました。図を作ったりするのは今でももちろん重要だと思ってますし、大好きなんですが、この表現方法は非常に作為性が入りやすいというジレンマもあるんです。視覚的な要素によって強調したり取捨選択したりするわけなので。

その後、スマホが普及して情報は小さなスクリーンで見るのが中心になり、だんだん手間暇かけてこだわってデザインした図をじっくり立ち止まって解釈するようなコンテクストは失われていきます。そして震災とか原発事故、パンデミックを経て、刻々と変化していく情報を歪めずに伝える速報性への移り変わりを感じるようになりました。そういうこともあって、デザイナーが先に情報を固めて提供するんじゃなくて、ひとつの情報の見方を巡って対話を起こしたり、いっしょに作っていく即興性や協働性の方にだんだん関心を持つようになりました。

何事においても見方は一つじゃない、というのは日々すごく痛感してることで、それは教育に関わる中で自分自身いちばん気を付けていることでもあります。人間って状況によって言うことも違うし、生きてるから学習して変化していくはず。だから人を評価する場合も多面的であって然るべきなのに、それを一時的に切り取った物差しだけで測るってのはなんて傲慢なことだろう、と思うんですよね。最近は卒業してだいぶ経った学生と会う機会も増えたんですが、社会人になってからまったく違うフィールドで活躍したりする人もいるわけです。例えば情報学部出てから何軒ものレストランのオーナーになって、それが繁盛していたりとか。そういうのを目の当たりにするたびに、いったい自分は何を見ていたんだろうな、と言いたくなりますね。だからなるべく謙虚でいるようにしています。年取ってからは、なおさら。


「コ・デザイン」を読んでる人は多いです。

ありがとうございます。コ・デザインを学ぶなら本場へ、と思ってデンマークへ行きました。人間中心デザインの源流のひとつは北欧の参加型デザインにあるんです。70年代ぐらいにスカンジナビア半島で工場労働者たちがデザインに参加し始めたのが一つのルーツだと言われていて、労働組合と経営の働く場を巡る闘いが舞台だったんですね。経営者側の視点では工場にシステムを導入して生産性を上げたい、一方で労働者の方はまた違う視点で、働きやすい環境を求めたい。そういう緊張が高まっているところに介入したのがデザイナーたちで、お互いが対話して解を両立させられないのか?ってことを模索し始めたのが始まりなんです。でもそれはひとつの工場だけの話では全く無いところが面白くて。世界大戦後に北欧諸国が福祉に力を入れた社会民主主義国家になっていくために、子どももお年寄りも障害者も全員が平等に権利を持つ理想的な社会を実現するためにデザインが位置づけられたという点で、当時の北欧の人々が取り組んでいた社会運動の実践の一つの形態なんですよね。
北欧で学べば学ぶほど、市民社会とデザインは一体で、その成熟した文化を痛感させられっぱなしでしたし、よそで育った文化を輸入すれば機能するという単純な話では全くないことを考えさせられました。だから帰国した後の逆カルチャーショックはとても辛かった。悩む中で、日本には日本の良さや歴史の中で培ってきた文脈があるわけだから、コ・デザインを語るにしても北欧の話に寄せるのでなく、自国の文脈を理解した上で自分なりに編み直していいんじゃない?と海外の人たちに背中を押してもらって、本にまとめました。よく勘違いされますが、本では“誰もがデザイナーになれる”という言っているんじゃなく、逆なんです。デザインはデザイナーという専門家に預けてやってもらう事柄でなくて、ホントはもっと身近なところにあるんだよ。みんな何かの専門性を持っているし、誰もが関わっていいんだよ、ってことを一所懸命説明しています。


エアポケットが、面白い。

デザインに関わられてどんなところが楽しいですか?

最近は真面目なデザインというより、もっと遊びに近い領域を実験的に取り組んでいるんですが、そういうところに意外と見落とされている面白さが見つかるんです。例えば、「調合」。何かと何かをブレンドすることですね。調合ってもともとはみんないろんな生活の場面でやってきたはずなんです。でも今スーパーに行くと、全部調合済みのものが売られている。ホットケーキミックスにカレールー。ブレンドコーヒーもそうですね。そういう視点で棚を眺めると愕然としますね。調合は現代生活の中で失われつつあるんです。作って失敗したくないし、怖いんでしょうね。もっと言えば、自分の内側に立ち上がる主観的な感覚を信じられなくなっていることなんじゃないかな。だから便利さだけじゃなくて安心を求めて、シェフが監修した調合済みのものを買うわけです。でも、一人で配分決めるのは怖いかもしれないけど、一緒にやってみるとすごく楽しいんですよ。毎回学生たちと盛り上がっています。
もうひとつ、調合ってただ素材混ぜているだけのように見えて、素材の良さを感じ取って新しい組み合わせを探ったりもできるわけで、前もってコントロールするのとは違う、「受動的な創造性」みたいなものがありますよね。そういう見えにくいことを発見して概念化することが大事だと思っていて。最近、冗談でよく言うのが“ファミレスに行ってタブレットでボタンを押したらロボットが料理を運んでくる”というのは、何かがおかしいだろう、と。利便性と引き換えに、本当は間にあるはずのいろんなプロセスが全部剥ぎ取られた結果、僕らはいつのまにかその全自動のシステムの一部に成り下がってる。途中で生まれるはずの幸せの総量は減っているという事実にはなかなか気がつきにくい。研究が進んでいくと方々のテーマがやらされ尽くしていて、もう新しいことが見つからないような気がしちゃうこともあるのですが、一方でそういうエアポケット的な場も埋もれてるんですよね。それを見つけることはとても楽しいことで、最近は燃えています。


デザインを研究することの意味。

なぜデザイン研究者になられたのですか?

デザイナーはたくさんいますけど、デザイン研究者ってかなり少ないんです。サッカーでピッチに立ってプレーするよりも、ちょっと高いところから眺めたほうが試合全体の動きがよく見えるように、違う立ち位置にいるからこそ見えることって、実はいろいろあって。例えば、ある業界の中にいるとそれでご飯食べるという構造に組み込まれることになるから、仕事が来なくなるのも困るし、業界のあり方に対して批判的なことってなかなか言いにくくなる。でもアカデミア(学術領域)は忖度が必要ないですからね。みんな現場のリアリティの中でそれぞれのデザインに取り組んでるわけですが、大局的な見方からデザインという営為自体を問い直したり、まだ名前もついてないような新しい領域を開拓したりするような人は、それほど多くない。僕の場合は研究者を名乗っているのも、たまたま自分の目の前にそういう状況があったからです。

デザインは産業に近いですから、クライアントの依頼事項に応えることも大事な役割ですけど、その結果生じている負の面というのもいろいろあるわけです。でもそれらが結果的に引き起こしていることはなかなか表立って言えない状況になっている。最近そういう見直ししようという動きもあちこちで起こってきているんですが、デザインも批判されている部分はそれを受け止めて変化していくべきなんです。例えばいちばん分かりやすいのはスマートフォンで、このデバイスはものすごく私たちのアテンション(注意力)を奪っていますよね。提供側はより注意を引くためにどんどん通知を送ったりより刺さるコンテンツの改善に励んだりするわけですけど、刺激が強くなれば強くなるほど僕らの時間は吸い取られていく。スマホが発明される前には、いつでも・どこでも・だれとでもコミュニケーションできることを夢見てきたはずなのに、いざそれが達成されると別の問題が噴出してくる。やっぱりデザインの力って薬にもなるし毒にもなるし、両義性あるんですよね。
先日、熊本の水俣にリサーチに行ってきたんですが、実はデザインと水俣って深い関係があって。チッソがメチル水銀を海に流して公害を起こしたのは、小学校の社会の時間にも必修で習うので誰もが知ってる。でも何を作っていたかは、ほとんど知られていない。チッソ水俣工場で主に作っていたのはアセトアルデヒドで、あとそれを原料としたオクタノールという化合物です。塩化ビニールとかポリプロピレンなどのプラスチックの素材なんですね。チッソは当時圧倒的なシェアを誇っていたから、高度成長期に住空間や生活用品がそれまでの天然素材からプラスチックに置き換わっていく際の原動力だったし、それは水俣からやってきたとも言える。高度成長期は日本にデザインが花開いた時期であると同時に、そういう負の面も引き起こしていたわけですね。デザイン史の講義ではそんなことはまず学ばないわけだけど。プラスチック製品が身の回りにあることと、それがどこからどうやって来たのかのルーツを、どうしても私たちは地続きでは考えられないですよね。今の100均に並んでいる製品だって、いろんな関係性を気づかせないようにデザインされているとも言える。当時水俣の排水がとまらなかった理由と、ここまで気候変動が深刻になっても大量生産をなかなかやめられない理由はすごく似ているんですが、やっぱり学べる歴史があるんだからそれを掘り起こして誰かが言っていかなきゃならないことだと思うんです。デザインでは未来をしきりに志向するけど、そういう過去への意識が欠けがちと思ってるのも、一面的じゃダメだと思う一つの理由なんです。そういった現状を前にして僕らは同じことを繰り返しているんじゃないかってことをもっと考えていかないと。


捨てたことの中にある、大事なこと。

そんな上平さんが今、興味を持たれているのはどんな領域ですか?

いま取り組んでいきたいのは、デザインエスノグラフィーという分野です。人類学のフィールドワークでは、現場を尊重して介入しないことが基本ですけど、積極的に介入できる領域もあるんですよね。例えば、“新しい体操を作る”って面白いZINEがあるんだけど、なんと体操を一から作っているんです。そしてインストラクターの人がどんな声がけして、その中で参加者がなにを感じていくのか?ということを丁寧に記述している。こんなふうに、まだ無い物事を自分たちでつくりつつ、そこで起こっている出来事を記述していく取り組みは、まだやってる人が少ない。そういう面白いことはまだまだ世の中にはたくさん眠っていると思うんですよね。「サイアノタイプ」って知ってますか?いわゆる青写真で、印画紙に感光液を塗って日光で感光させる古い技術なんですが、奥が深くてね。カメラの性能が上がって誰でも高品質な写真が撮れるようになったのとは真逆の方向に実は面白さが眠っていて、意外に今の時代に新鮮だったりするわけなんですよね。少なくとも徐々に像が浮かんでくる原初的な喜びは、なかなか味わえない。

サイアノタイプワークショップ2022.11.11
ファシリテーター:高橋真美 主催:上平研究室

そういう消え去ってしまったものは山ほどあって、それらの技法や道具を個別に召喚して、マニアの人の助けを借りたりしながらもう一回命を吹き込む、そこにどういう意味があったのかを改めて学びながらエスノグラフィーにしていく。そんな演習を企画しているところです。やっぱり僕に通底してるのは、制約と制約のあいだにある「余白」を見つけることかもしれない。みんな失敗したくないとか、無駄な時間を使いたくないから合理的な方向に進むわけですけど、それと引き換えに失ったものの中に大事なことがあったのかもしれないわけで、今とは別のものさしをつくるのも研究者的には今頑張ってるところです。


Xデザイン学校の創設にも深く関わられているんですよね。

もちろん創設したのは共同創設者の二人なんですけど、その10年ほど前から母体になった「情報デザインフォーラム」というコミュニティがあったんです。で、この情報デザインフォーラムは、実は専修大の発表会にお客さんとして来てくれた浅野先生たちが帰りに酒飲んで「学校の枠を超えたコミュニティ作ろうぜ」って意気投合したのが出発点なんですよね(参考記事1,参考記事2)。なので「深く関わっていた」は言い過ぎですけど、「2008年の“種”の段階から間近にいた」ぐらいは言っていいかもしれません。そういうわけで、流れの早い時代の中で発芽した学びの場が20年かけて立派に育っていく過程を間近で見てきたからこそ、いま社会人の皆さんが楽しそうに学ばれているのを見ると非常に感慨深いです。
20年ほど前は、社会人向けのイベントと言うとだいたいセミナーで、基本的に講師の話を聞くだけの講義形式だったんですよ。そこから徐々にワークショップが増えてきて、それもひと段落して10年ぐらい前からは連続ワークショップや合宿ワークショップが実施されるようになってきた。さらに最近は、自分で研究したり探究したりするのも珍しくないですよね。こうして俯瞰してみると、だんだん答えの定まっていない創造的な学びが求められているような時代の変化を感じるんです。“探究したがっている”人が増えているのかもしれません。そして探求している人は仲間を求めてるし、そんな仲間がXデザイン学校には集まっている。社会人でも自分のテーマを掲げて探究してる人は目が輝いているし、楽しそうですよね。それが大事なことなんでしょうね。やっぱり職場とは離れたサードプレイスだからこそ、利害なく学びあえるし、そういう環境って必要なんだな、ってことをすごく思いますね。


私にとって、デザインとは「常に問い直すべき鵺」。

上平さんにとってデザインとは何ですか。

何でしょうね。難しいな。私にとってデザインというのは、「鵺(ぬえ)」のようなものかもしれない。

Nue Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese,1712-1788) - scanned from ISBN 4-3360-3386-2., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3701925による

鵺って“猿の顔、狸の胴体、虎の四肢、蛇の尻尾”といういろんなものが合体したキメラみたいな日本の妖怪なんですが、部分部分だけを見ると、知っていることと照らし合わせてこれは猿だ、狸だ、虎だと判断しちゃいそうな要素を持っている。ところが全体を見てみると、それは決して既存の知識にはあてはまらない。そんな感じで、デザインって単に設計だとか問題解決だとか意味生成だとか一つの言葉で言い切れない何かを含んでいて、いろんなものが混じり合った複雑な概念なんですね。かつ、その鵺は西洋からやってきた外来種に見えるけど、根っこの部分では在来種として理解しなきゃいけない。そういうところも含めて、「あの正体はいったい何なんだろう」って常に問い直していかなきゃならないような概念だと思っています。でも複雑だからこそ、いろんな角度から見て一面的ではないような理解を見出していけること自体が、最大の魅力でもありますね。



デザイン研究者として、透徹な目で未来を見据え続ける上平さん。研究するからこそ前進することの楽しさをまっすぐな目で教えてくれました。デザインのおもしろさは、やっぱり広くて深いです。


参考記事1

参考記事2