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コルクラボ文化祭での学び 【コミュニティを鍛えるということ】

このnoteを書くきっかけになったツイートがある。



コルクラボ文化祭とは、僕が所属しているコミュニティ「コルクラボ」で毎年行っているイベントだ。今年も学校跡地を借りて、本物の学園祭さながらの盛り上がりで無事終了した。


コルクラボの運営サポートチームのリーダー、すないぱーの上記ツイートによると、文化祭はコルクラボにとっての「筋トレ」だという。筋トレとは、負荷をかけることによって筋繊維を一度損傷させ、より強固な筋肉に変えていく行為だ。コミュニティに筋トレという言葉を当てはめたのを初めて見たが、この表現がとてもしっくりくる。

今だから言えることだが、文化祭の準備期間中、僕は楽しさと共に常にストレスと不信感を感じていた。
コミュニティは会社のように明確な指揮系統がある訳ではない。だからこそ人間関係をフラットにできるので、居心地がいい。一方で、今誰が何をやっているのか、が非常に見えにくい。たらい回しや丸投げ、放置、コミュニケーション不良などが度々起こるため、一つの作業をするにしても想定よりかなり時間と手間がかかる。仕事や育児などの合間にこれをやるのは、なかなかしんどい。文化祭運営の中枢にいない自分ですら感じたのだから、PMをやっていたメンバーはさぞかし感じたことだろう。文化祭に限らず、コミュニティで大きなイベントをすれば同じことが起こる。

しかし終わってみるとどうだろう。
爽快感、感謝、またやりたいという思い、仲間に対する強い信頼感などのポジティブな感情だけが残る。一度不信感という形で損傷した絆が、より強い愛情となって戻ってきたという感触。

言い得て妙なのだが、これはまさしく筋トレと同じ感覚だ。

各々がタスクとして業務を請け負っているとこの感覚になりずらい。好きだ・やってみたいという感情を犠牲にせずに、たどたどしいながら協力し合って追求した結果得られるものだと思う。

コミュニティは人の体と似ているのかもしれない。
人の出入りによって新陳代謝が行われる。新しい筋肉は損傷から再生へ。定着した筋肉はより安定的で強い筋肉へ。古い筋肉の一部は役目を終えるが、知見として留まり、より効率的に鍛えることができるようになる。

人と人を繋ぐ繊維を強化する。
この感覚を多く経験した人間は、他の場所においても人との関係を築きやすい。信頼を想像できるから。

これを読んでいるってことは、投稿を最後まで読んでくれたってことだね。嬉しい!大好き!