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想像力が欠如していると気づいた話

最近、プライベートである企画を進行させている。
進捗について恩師に相談したところ、「お客さんに、何をどう伝えたいのか全然見えてこない」と一刀両断された。

お客さんがどういう動機で足を運び、どのように楽しみ、何を持って帰ってもらうのか。

最も大事なポイントだ。
にも関わらず視点が全く抜け落ちていた。

ぼくは何かの企画を動かす時、
「携わるみんなが楽しんでくれればいい」と思いがちだ。作り手側の満足を重視するがあまり、受け手の満足を軽視してしまう。

仲間意識の強さゆえだと思っていた。

ぼくは去年、生まれて初めて役者として演劇の舞台に出た。とても楽しかったし、一緒に関わった仲間に対して、かけがえのない存在だと感じた。

それだけではなかった。
舞台に上がり、集まってくれたお客さんを見た時に、同じようにかけがえのない存在だと感じた。

みんな仲間だと思った。
全員で楽しんでる空間にいられた気持ちがして、とても心地がよかった。

企画者としてお客さんの視点が抜け落ちてる問題。
根幹にあるのは、仲間意識ではなく「想像力の欠如」だと分かった。

ぼくはまだ見ていないもの、経験していないものに対しての想像力が欠けている。大きなウィークポイントだ。

子供が生まれる前。
子をもうけるかどうか、という話を妻としてた時に、ぼくらの間に知らない子供がいる風景を想像した。とても複雑な気分になった。

出産に立ち会い、子供に出会った瞬間に、
こんなにも愛らしい存在があるのだろうかと感動した。出産後、会社を休んで毎日病院に行った。

多くの人は子をもうけてなくても、
我が子をちゃんとイメージできるのだろう。
でも、ぼくは生まれて初めて我が子を知った。

みんなで何かを作るのが好きだ。
一体感のある輪の中にいたい。輪を作りたい。

でも想像力のない人間の作る輪は、いずれ人を傷つける。だから、想像力を身に付けなければならない。

ぼくがイメージできるようになるには、経験が必要だ。経験があればイメージできる。とにかく、経験を積もう。

積んでちゃんと、まだ会っていないあなたを見据えた輪を作れるようになろう。

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