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幸せになれると思う?

昨日の朝、ノートパソコンに思いっきりコーヒーをこぼした。

パソコンを濡らしてしまった場合、
速やかに電源を落として乾かすのが大切、とググったら書いてあった。

数日間乾かし続けた方がいいということなので、昨日からずっと乾かし続けてる。スイッチを入れたら使えるのかどうか、確認もできない。

お陰で昨日は朝から絶望的な気分になった。
パソコンにコーヒーをこぼしてなかった日々はどれだけ幸せだったか、思い返すと余計に落ち込んだ。

1ヶ月前くらいに、ワイヤレスイヤホンを片方無くした時も同じようなことを思った。いつでも好きな音を聴けない世界を生きるのは、なんて不幸なのだろうと嘆いた。

こないだ、今更ながら自撮り棒を買った。
今までより遠くから動画を撮れるようになったし、超コンパクトな三脚にもなる。なんで今まで買わなかったのだろうと、自撮り棒のある生活にウキウキした。

でもぼくが去年した買い物の中で、1番のヒットは座蒲だ。座蒲があるだけで、瞑想の快適さが全然違う。座蒲なしで瞑想をする人生なんて考えられない。


無かったものが有るようになったらウキウキする。
有ったものが無くなってしまったら落ち込む。

でも、有るものが引き続き有っても何も思わないし、無いものが無いままでも何も思わない。


以前無かったものが有ったり、有ったものが無くなったり。そのようなことが繰り返された結果の今、をぼくは生きてる。

なんとも思わないのは「有る様になってから」、「無くなってから」、多くの時間が経っていて状況に慣れたからだ。


この考え方は危険だなぁと思う。
だって、無かったものが手に入り続けないと幸せでいられない、ということだから。

逆に少しづつ無くなり続けていたら、それまで如何に多くのものを持っていようと不幸な人生、ということになる。


これはモノだけでなく、
コトにも、人間関係にも、時間にも、成長にも当てはまる。

もっとさらけ出せる友人、恋人がほしい。
もっと時間があったら海外旅行に行けるのに。
より多くの能力を、潰しの効くスキルを。

でもぼくはおそらく。
既に多くのものを持ってる。

だから、今持っているものを持っていられるラッキーを感じられるようになりたい。そして、良くも悪くもないけども、ちょっとした変化がある日々を楽しめる自分でいたい。

今日もこうしてスマホでブログが書ける。
スクランブルスクエアに抜ける道は、足音が気持ちよく鳴るなぁ。

そのような人生を生きたいなぁと思う。

これを読んでいるってことは、投稿を最後まで読んでくれたってことだね。嬉しい!大好き!