献身的な行動は自己犠牲ではない話し
こんにちは。
高橋翼@x-faCE(クロスフェイス)です。
コンサルティングとエンジニアリングを両立する「コンサルティングエンジニア」を名乗っています。
献身的な人のためにITシステムを活用する
弊社のミッションは、
『献身的な人のためにITシステムを活用する』
です。
献身的な人とは、自分の名誉や保身のためではなく、「目の前の人のために行動する人」と定義しています。
そして、「献身的な人」とはお客様(クライアント)だけでなく、我々自分自身も含んでいます。
お客様に対してだけでなく、自分たちが楽しく仕事をして自己実現をしていくためにITシステムを手段として活用する。そういう意味です。
献身的な行動は自己犠牲ではない
昨日のmtgで、献身的だと思って行動していると「なぜ自分の時間を使ってここまでやっているのだろうか?」と感じることがある、という話が出ました。
自己犠牲とは違うのだろうか、と。
個人的な考えとしては、献身的であることと自己犠牲は全く別ものだと思っていまして。
自分を犠牲にしてまで目の前の人のために行動する、というのはちょっと違うなぁと考えています。
自己犠牲から逃れるためには
自己犠牲かどうかは「捉え方次第」ではあると思います。例えば、今やっていることはつまらないかもしれないけど自分の成長のためだ、と捉えれば自己犠牲ではないと思います。
もう一つ、自己犠牲から逃れるためには、空間軸で考えて、チーム自体が自分でありチームメンバーが自分の一部だという前提に立つこと、があると思います。
自分が目の前の人に尽くすことでチーム全体としては前進している、というように捉えると自己犠牲にはなりません。
そうするためには、チームメンバーと深い信頼関係を結ぶ必要があります。
例えば、家族に対して何か行動したときに、これは自己犠牲だ、とは思いません。これと同じことをチームでもやります。
チームやチームメンバーも身内だと捉えることで自己犠牲から逃れられる、という話しだした。
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