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フリーランサーと下請構造の歪み

おはようございます。
フリーランスとして毎日を過ごしています。
おそらく、以前組織に所属して毎日地下鉄に揺られていた頃と比べたら、全くストレスのない暮らしなんだと思います。

それでも、下請けとは何なのか、グルグル考えてしまい、定期的に苦しくなってしまいます。

「下請け共創論」の仲間探し

以前、「下請け共創論」というコンセプトを出したことがありました。

その時は、間違いなく、受注側と発注側の力関係や、ランク(プロセス心理学)による関係性の歪みを解決していく方法がある、と思っていました。

あれから2年ほどが経ちましたが、環境はほぼ横ばい。

「人生経験の先行投資」とは言い得て妙。
本来、<働き盛り>といわれる年齢にも関わらず、
「生産的なこと」ができていないように感じてしまう
それはなぜなのか。

自分自身のマインドセットを見直すだけでは、
もうどうしようもならないところに来てしまった感覚もあります。

私はいつも、何か大きなものに酷使されている。
これは、被害妄想にほかならない。
だけど、
なぜいつも、同じような落とし穴に落ち込んでしまうのでしょうか。


「構造」って何のこと

2020年前後に、自己組織化やファシリテーションを学んでいた頃のことが思いだされます。とくに引っかかっているのは、氷山モデル。私は、ここに出てくる「構造」について、理解することができていませんでした。

メンタルモデルを理解することも困難ながら、その手前の層である「構造」について、具体的なイメージをふくらませることができていなかったのでした。

(出典)https://dai60.hatenablog.com/entry/2012/12/30/001228

ですが、最近、やっとその表層を薄っすらとなぞっているのだと手応えを感じることがありました。

それは、先日行った、広島県竹原市で開催したスタディツアーでの学びにも関係があります。

地図から消され、隠匿されながらもなお、毒ガスを製造していた旧日本軍。ここで実際に工場で手を動かしていた方々のうち、いったいどれくらいの方が、作業内容や将来起こりうる健康被害についてのことを理解した上で業務にあたっていたのでしょう。

第2次世界大戦時、加害者としての側面を持っていた日本で、その武器や兵器を作っていたのは、お国のために力を注いだ市民だった。武器や兵器を作るために運ばれてくる材料はどこから調達されてきたのか。結局誰が得をしたのか。

この構造を知り、やっと、私は構造というものを理解する手がかりを手に入れることができたように感じています。

下請けの何が嫌なのか

さて、私は今、フリーランスという後ろ盾のないポジションにいます。
生きていくためには、お仕事をいただかなければならないのですが、そのためには下積みが必要だと理解しています。

労働に見合う対価とは、果たしてどのように計算するのが良いのでしょう。
そもそも、労働とは何なのか、という定義の問題にも行き着きます。

デザイナーの方がサラサラと手書きでイラストを書いたものに、「お金を払うのが馬鹿らしい」と話すクライアントは、そのデザイナーがこれまでに取れだけ多くの時間を費やし、画力を向上させるのに力を注いできたのか理解していないのではないか。

ずっと以前に、そのような記事をネットで見かけ、これはデザイナーだけの話ではないと感じていたのを思い出しました。

時給では計算できないような、価値を生み出す職種の方々は、どのように価値を定義していくのでしょう。

労働対価、というものを、結局だれがどのように値付けるのか。
多くの場合、それは、使われる側(受注者)に選択権はなく、使う側(発注者)が決めるものであると考えられます。

また、フリーランスを安価に使役する現場で多く見られるのは、力関係の歪です。

本来ならば誰かがやるはずだった仕事を切り分けて、代理者として動かせたい。それも安価で。

そのために、掃いて捨てるような数の下積みフリーランサーは酷使され、上澄みの多くを分前として与えられることがなく、疲弊していく。

これは、共創の世界からは程遠く、個人の力では、解決しようがない問題です。これは、まさしく、氷山モデルの<構造>に位置するトピックです。

だからこそ、私はこの状況を改善できないかと、勇気を出して「下請け共創論」を立ち上げたのでした。
それなのに、また落とし穴にハマってしまっていたんです。

やりがい搾取って何なんだ

ところで、私が関わるコミュニティで、ひょっこり定期的に現れる「やりがい搾取」というキーワードがあります。

誤解のないように説明すると、これは、関係性の変化ではなく、個人の変化が生む苦しみです。

①内容に興味を持ち、プロジェクトに自発的に関わる
②プロジェクト自体は、マネタイズできていないため、全てが試行錯誤
③いくつかの季節が過ぎ、膨大な時間をそこに費やしたことに気づく
④ここで、報酬を対価として得られていないと思った個人が、「やりがい搾取はもうたくさん」と組織から離れていく

このプロセスの中で、何が問題なのか。
誰にとっての問題なのか。
このあたりは、興味のある方と一緒にもっと議論を深めたいところです。

ですが、ひとつ言えるのは、上記の「やりがい搾取」ですらない、搾取も横行しているという事実です。

私の2022年の先行投資の中で、すでに5件ほどの事例があります。
仕事や実績がほしいフリーランスは、低い立場にあります。
法外な手数料を取られ続けたり(50%!)、実働時間を偽って採用されたり、少しのミスで長い間責められ続けたりします。
プロジェクトの終りが見えず、支払い期限が連絡なしに破棄にされたりもします。
一つの組織に所属しない働き方をしているにも関わらず、多くの組織に使い捨てられ、そしてまた次を探す…

おそらく、私には何かが足りておらず、あるいは何か必要なものを抜かしたり飛ばしたりしていて、そのような困難な落とし穴ばかりに足を突っ込んでしまっているのでしょう。

そうでないのだとしたら、この世の中の構造は本当に深刻な局面にあります。

おわりに

この記事は、特定の誰かを傷つけたり、避難したりするために書いたものではありません。

ですが、自分の中にある叫びをそのままにしておくことができず、文字にすることに決めました。

「うちの会社も、ボランティアではないので」
そう言って、フリーランサーを酷使してもいいんですか?

だれかの営利活動が、他の誰かの<人として安心して生活を営む権利>を侵害しているのに気づいたとき、あなたならどうしますか?

生きるのって、大変!

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