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文字出力の快感

 月曜夜、宿泊から帰宅して、水曜の午前11時まで外に出なかった。外に出てから「あ、40時間くらい太陽光に当たってなかったな」と気づいた。

 ただ個人的には満足のいく引きこもりだった。火曜は一日かけて、カンザス州トペカを起点に米国宗教史を振り返り、興味深い事実に気付いた。水曜は、ぼんやりと考え検索し、準備していた仕事用の原稿と、趣味の駄文をしたためることが出来た。

 そして本日、木曜日。午前中、仕事の翻訳を終わらせたので、宿泊までは休みと読書に充てることにしたい。研究もせねばならない。そんなこんなで身支度のためシャワーを浴びながら、ふと文字を出力することでの満足感について考えた。

 だいたい、ぼくの場合、私事として週に趣味の駄文2,000字前後を1本、日記300〜800字を7回書いている。SNSのぼやきは多めに見ても週に140字が10回くらいだろう。

 仕事では、最低でも毎月2,000字が2本、1,400字が1本、翻訳800字が3本、その他800〜1,200字である。

 金になるのが後者で、だいたい1〜1.2万字くらい。趣味のほうもざっくり1万字くらいはボヤいている。つまり、ぼくの文字出力は、毎月概算2万字である。幸い、趣味を合わせても1文字1円を切ることはない。取引先には感謝感激雨アラレである。

 嘘か本当かは知らないが、男女で一日に会話で出したい語数に差があるという。真偽のほどが定かでないし、そもそも観測データを取りにくい話だと思う。検索すると以下が出る。

 米メリーランド大学の研究結果によると、男性が1日に発する単語数は平均7,000語。一方、女性の場合は平均20,000語――およそ3倍もの単語数を発している……女性は1日に6000語以下しか話せないと、脳がストレスを感じやすくなる 元記事

 そもそも計測が難しく、かつ個体の言語能力に依存するので、おそらく統計としては当てにならないはずだ。また語数は英語における語数であって、他の言語でもない。

 発音の認知なども関わるので、かなりデータを取るのは難しいだろう。だから、まあ話半分でよいと思うが、多くの人の実感には合うのだと思う。

 一応、これに乗って考えてみる。ぼくの場合、たしかに言語は脳内で動いているので、一日にそれが仮に七千語、つまり数百の文節、おそらく100程度の文章になっていることは想像しやすい。体感としては、もっと少ない気もする。とはいえ自覚的に数えるのは、呼吸なみに難しい。

 とまあ、実際のところはよく分からない。ただストレス発散として、または趣味的な快感としての文字出力、毎月1万字はこれからも続くと思う。

 言語学者・金田一京助によれば、言語とは「伝承」である。このあたり、いつかぼくなりに詳しく論じたい。

 たとえば、昨晩、友人と言語ごとに「思想的」固有性があるとしたらそれは文法に宿るだろう、しかし、その固有性は語族のレベル程度までにしか分岐しないのではないか、と話した。

 なぜなら文法的要素としての「S・V・O」または「主語・述語・補語」とは、人間の認知における動力源とその作用と対象であるからだ。すなわち、これが大雑把にいって、人間の意味世界の規定的構造なのだ。

 そして、金田一が言うように、言語は一個人を超えたものであるので、あらゆる個人以上のものを納める容器にもなる。つまり、言語という器に、他者、社会、自然、神がサラダのように盛り付けられる。

 どうやら、ぼくの文字出力、毎月概算2万字には、こんなかたちで、いろんなものが盛り付けられているらしい。ただ、今日の午後は文字を食べることに費やしたい。折りよく昨日出町商店街で手に入れた実話怪談の短編集がある。

 天気もいいのでメイド喫茶日和だから、外に出てて怪談でも読んで少し冷えてみたい。日毎に日照時間がのび、気持ちよく晴れるのは今だけだ。梅雨の向こう、夏には太陽は冬至にむかって傾いていく。今日は良い休みになりそうだ。

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