東洋医学と自然科学と気のモヤモヤ 1  ~はじめに~

1.はじめに

伝統的な鍼灸において最も重要とされ、強みでありながら実は最も弱みである可能性がある「気」について、老師はもやもやしています。

東洋医学の専門書では生理、病理、治療の説明の中に「気」という言葉がいっぱい出てきます。生命の原動力「原気」、健康を守り維持する力「正気」、体を病から守る「衛気」、気をめぐらせる治療法「理気」などいろいろあります。こういう文章を読んだ大半の現代人の反応は「うさんくさい」、「非科学」、「宗教みたい!」(ちがうちがう!)、「迷信!」あたりになるのではないでしょうか? ちなみに上記の文言は、私が過去鍼灸学生から受けた反応です。悲しかったですぞ!

でも仕方がないのです。なぜならこれは多くの人間が持つ「わからないもの、理解できないものに対する忌避感情」から来るものだからです。そしてそれは、その場所その時の社会、そして世代がもつ思想や常識(というよりか空気でしょうか)に左右されます。


現代の自然科学は社会インフラに貢献し、多くの社会や人々に信頼されて受け入れられているため、一般人に忌避感が少ないものとなっています。分からない現象や機械でも「科学で説明できる」、「科学の産物」という事で信用されるものは少なくありません。ただ、科学を理解していないと「疑似科学」(トンデモ!)に騙されます。老師は、疑似科学が好きではないかとおっしゃるそこのあなた!老師が好きなのはOccult!です。本来の意味のOccultですぞ!

話がそれました、そして、科学的に問題ないのに、しっかりとした科学の産物なのに忌避感を持たれたりすることがあります。

例えば現在送電方法として主流となっている「交流送電」ですが、「管理が難しく危険なもの」として捉えられた時期があります。開発者のニコラ・テスラに対して直流を支持するトーマス・エジソンのネガティブキャンペーンが大きな原因です。医学分野ではイグナッツ・フィリップ・ゼンメルワイスが推奨した「手指や医療器具の洗浄、消毒」の話が有名な例の一つです。ゼンメルワイスは医師の「手洗い消毒」と医療器具の消毒が「産褥熱」(産後24時間から10日以内に2日間、38度以上の熱が出ること。)を防ぐことを実証したのですが、当時の医学会の権威(1800年代なかばの話です。)には認められませんでした。面倒だとか、医師は神聖で手が汚れているということはあり得ない(もちろん自分たちが産褥熱の原因だとは認めません)、など主張されていたと伝わっています。

とても科学的でないです・・・。悲しいですね。
話しを戻しましょう。

うさんくさいと取られてしまう東洋医学、その中でもとくに鍼灸が気と関連が深いと思われているようですが、それらがなぜ存在しているかというと、はい、「気の思想」が認知されていた時代があったからです。

ドイツの思想家、フリードリヒ・エンゲルス(1820~95)はその著書『自然弁証法』の中で「科学者達がどんな態度をとろうとも、彼らは常に哲学の支配下にある」と述べています。なるほど。

昨今、なかなか人的にも財政的にも苦心していますが、自然科学による鍼灸および関連分野の研究はちょこちょこ進んできていると思います。
論文を読んでいると、ニヤニヤしたくなるものもあり、このまま行くと100年もしたら鍼灸の科学化が進んで現代医学化するのではないかと空想したりします。現代主流医学の規模からすると、相互融合変化や統合というよりかは取り込みになるかもしれません。市民にとっては気軽に扱えるもの、利用できるものとしての鍼灸になり善い事と受け入れられるでしょう。そうなると、東洋医学は過去の歴史記録になるのでしょうか・・・・。
東洋医学としての鍼灸はどうなるのでしょうか、悩ましいです。

日本の鍼灸の業界では、東洋医学としての「日本伝統鍼灸」、「中医鍼灸」の他に「現代(医学的)鍼灸」と呼ばれる鍼灸があります。たぶん純然たる伝統鍼灸を運用されている先生は、少数派かもれません・・・。

一般の方には「鍼灸って東洋医学でしょう?」と言われます。おそらく、業界の中でしか通じない?もしくは業界の中でもよく分からなない? 東洋医学の鍼灸たらしめるのは何でしょうか?私ははっきりした意見を持っていて「思想性」だと答えます。「気の思想」がバックボーンにあって初めて「東洋医学の鍼灸」と言えると考えています。これが社会にとって利点であるかどうか、利用法などを考える前にそもそも「東洋医学、こと鍼灸の気って何?」について再考する必要があるため、一般の人々になじみがない、多くの鍼灸師が頭を抱えている(かもしれない)「気」のもやもやについて、私の理解の範囲でお話したいと思います。


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