変化すること

人はなぜ、変化を求めるのだろう。
いつも新しくいることが、そんなにも大切なのだろうか。

yes we can

僕は今まで「踊ること」と、それに付随した「何か」以外に特筆するほどに勉強をしてきた訳ではありません。ダンスに出会う以前はわりかし普通の少年として生きてきたと思います。
世間の流行りや風潮にはそれなりに影響を受けて生きてきたし、生まれ持って手にした「劣悪な環境」もなければ、よくある「伝説的な武勇伝」なんかもなく、ただの性格の悪い田舎少年だったと思います。

ヒップホップに出会って、自分の普遍さがコンプレックスになるくらい出会った人たちのトビ具合には驚かされてきたし、自分の根本にあるピュアな心が恥ずかしく感じてしまうことも多々ありました。

これは、普通に生きていく上でそれほどコンプレックスに抱えるような事ではないにしろ、ダンスやクリエイティブな活動をしていく上では割と致命的なんじゃないかと考えてしまうことが何度かありました。
一定層の人たちには分かってもらえるんじゃないだろうか?

そんな僕は、何もない自分をどうにかして「よく見せたい」と思っていたのだが、歳を重ねる度に「自分をどう見せたいか」という風に変化してきた。

もちろん、これに気付けたのは随分と時間が経ってからだが、この感覚が分かってからというもの、自分自身のあり方や、自分自身の見せ方がよく分かるようになって、「変化」ではない別のモチベーションが見えて来るようになった。

(自己啓発本みたいになっとる。笑)

変化しなさいオジサン達

くだらない、先輩たちが非常に多い、このストリートカルチャー。
(自分もまた、そのくだらない先輩の一人なのだが…)すでに現役でもなく、そこまでカルチャーの中で既に生きていなくも、そういう人に限って若者へ変化を求めたりする。

これもまた、くだらない先輩そのものの発言になるが、変化とはなんぞや。そして、変化の先に何がある?本当に変化が必要なのか?
いま変化の最中なのかもしれないよ?

アップデートすることを変化と呼ぶかどうかもハッキリ分からない人も多いし、そもそも自分のものさしだけで変化を求めたり、変化を決めてしまうのはどうなんやろうか。

1番大事なのはそこなのに。

om sweet om

すこし話は遡るが、僕は変化を求め旅をした。
タイラオスベトナムカンボジアチャイナネパールインド
ぐるぐるした。
自分を見て、変化ということを知ることができた。
でも旅で、じゃない。そんな甘くない。

時間との対話が本当に大切。
本を読む、音楽を聞き、人の話に耳を向けること。
興味を持ち、何か気持ちを育むこと。

新しくいること

ダンサーやアーティスト、クリエイターとして、常に「新しくいる」ことは非常に大切なのは理解できるが、そもそも新しいとは、何をベースにした上での「新しい」なのか。

また、「生み出したもの」が新しいのか、「自分自身」が新しくなったのかで、その意味は大きく変わるし、その重要さは、それぞれのカルチャーによっても大きく異なる。

受け手がどうあるかも大切だし。

つまり今回まとめておきたいのは、
「変化する」と一言で言えたとしても
それは物凄い色んなパターンでの矢印が存在しているってこと。

自分はその色んなパターンの中で、
常にベストチョイスな瞬間を見つけたいね。

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