血桜姫の想い②

(寒さなど感じないはずなのに…)

嗚呼勢いよく飛び立っただけなのに、空がいつもより暗い。
身体の芯が温まる事ができていないせいか、着物をきていてもすっと風は入っていく。

(羽織る物を装っていけばよかったかもしれぬ、すでに遅いが仕方ない。)

むしろあのままでは我の方が気がおかしくなるのだからその場にいては…悲劇的な展開が起こるのは避けたい。

我は家臣まで手を出すつもりなど毛頭ないのだ、だから逃げるように飛んでいかないと自我が保てない。

それに羽を勢いよく広げて飛んだものの、どこに行けばいいのか分からず途方に暮れそうだ。我を匿ってくれる者などこの世には居ないだろう。

匿う事が出来る世であればよかったのに、我の噺がもうすでに知れ渡っているからそれも願う事すらできない。

嗚呼、風が冷たい、身体の芯が暖まらない。
どうしたらいい?心がもう悲鳴があげてしまいそうだ。

(あの眼は嫌い、嫌い)

どれだけ我がその眼で見つめるなよと申しても叶わないのは、我の暴走の故のだろうわかってはいても血には抗えない。

首元から流れてくる血の音、心拍数、呼吸、生きている者しか感じる事がない体温、嗚呼思い出すだけで疼いてしまう。

(あんなに飲んだのに、何故…)

満たされない哀しみ、誰もわかってくれない。
泣きながら血を飲み干していることなど、誰も、そう誰も!

解ってくれるのは、ただ1人、そう我の母君だけなのに、その母君さえもこの世には居なくなってしまった。我を庇って…

嗚呼思い出したくない、それに空がいつもより暗いせいか、目を細めて周りを見渡せば月だけがかろうじて観れるぐらいの夜空だ、星など見えるはずもない。

星が見えればまだ、安らぎを得たものをそれすらも叶わない。嗚呼、思い切りに叫んでしまいたい。

(どいつもこいつも我の事見てはくれない)

心の中が怒りと哀しみがいっぱいになる度に、孤独という奈落の底へ堕ちてしまうような気がして、恐いという感情が渦巻く。

(誰か…)

溢れ出した涙が頬に伝って下へ落ちていくのを感じながら、どこか休めるところがないかと眼を動かして、辺りを見渡してやっと見つけた湖畔に小さな舟が浮かんでいた。

(こんなところに舟…?)

外に出る数も少ない中で、思わぬ場所を見つけてしまったかのように、魅入られその舟の中に降り立った。

(なんだろう、この感覚は…)

不思議と安らぎを覚えた我は、羽をしまい舟が転覆しないようにゆっくりとしゃがみ込むと同時に、周辺をじっくりと見渡すと人間が居ない事に気付いた。

(まさか…)

この場所は近寄ってはいけないような気がして、思わず身構える。

(それでも一時でいい、一息をつきたい。)

あんなに血を焦がれたのに不思議な時間だ。
その欲求すらも消え去っている。出来ればこのまま誰とも出遭わずに、一息をついて長く居たい。

それは叶わない。
分かっている、当主がいなければ家臣や、子鬼、古鬼達の暴走に止められる者など居ない。

その役割として我が居るのも理解出来る、傀儡であろうとも、その役割が居るのと居ないのでは治める事など出来ない。

母君を見て、それを幼いながらも理解していた筈なのに、自我が保てないのは我がまだ幼い故に惨虐をもつ性質があるからだ。

(フン…感傷に浸るなとまだまだ…)

未熟な者だと微笑った瞬間に、鎌を持った少年が湖の反対側から居たのを見えて身構える。

「…貴様、何故そこに居る?」

仮面越しから聴こえてくる芯の強そうな声音に、我は思わず「はん、偶然じゃ悪いかのう。」と微笑みながら返した。

「…血桜姫、もう一度問うが、何故ここに居る?」
「フン、我が此処にいては問題あるのかぇ?」
「…無いが結界をかけてないと、俺以外の奴も来るぞ」
「構わん」

俺が構う、と其奴が溜息を吐きながら、手に持っていた鎌を洗い流し始めた。 報告に合った小鬼の首を撥ねた血がべったりとついているのだろう、その血から眼を離さないでいる我にきづいたのか、もしくは気づいても気付かないフリして丹念に洗い流し続けている。

「…此度は我の臣下が迷惑をかけたな」
「構わない、どうせ禁忌を犯したものはそうされる運命だ。」

俺では無いやつがそうするだろうし、たまたま俺がそうしただけだ。と其奴は感情すらない冷たい声でそう応える。

(変わらないのう、幼き頃からの…)

---その性格。
其奴が当主になってから久しく会ってない故に今こうして偶然か必然か、話をやり取りしている。

この瞬間だけは、幼き頃に戻ったような気がして、思わず心が躍ってしまうのは仕方なかろう?

「お前はどうするんだ?」
「どうするというと?」
「まだ此処にいるのかという事だ」
「嗚呼、解らぬな。気紛れに帰るかもしれぬし、まだ居るかもしれぬ」
「…好きなだけいろ、悪いが結界かけさせてもらう」

其奴は呪文かどうかわからないぐらいの速さで、呟き結界をかけた後、洗い流していた鎌をしまい、我の顔をじっと見たかと言えば次の瞬間にはその場には居なくなった。

「フン…やはり彼奴は変わらないのう…」

気付かないと思ってか、知らないが、我に対しては変わらないその優しさに心に平穏が訪れた。

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