〈リスナーの中の人〉について(ガルラジについて)

「なにを言ってるんだい、このラジオを聞いているってことは、すでにカグラヤ怪奇探偵団の団員なんだよキミは!」(御在所1-5



2020年1月26日、東京・秋葉原にて『ガールズ ラジオ デイズ』という作品の公開録音イベントが行われた。
イベントの終わりの挨拶で白糸結役の新田ひよりさんが、"中の人"というと普通自分たち(声優)のことだけど、ガルラジはそれとは別に構成作家としての白糸結の中の人、プロデューサーとしての金明凪紗の中の人もいて……という話をしたあと、客席を見渡して「皆さんも、リスナーさんの中の人なんですよね…」と言っていた。

リスナーの中の人。奇妙な、しかしなんともガルラジらしい言葉。



『ガールズ ラジオ デイズ』(ガルラジ)は、実在する5つのサービスエリアを舞台に、5つのチームがそれぞれラジオの生放送をするという作品だ。チーム岡崎(愛知)、チーム御在所(三重)、チーム徳光(石川)、チーム富士川(静岡)、チーム双葉(山梨)の各チームは互いに競い合い、ガルラジ運営からの課題やらなんやらをこなしてポイントを獲得しつつ、ナンバーワンを目指していくことになる。
ガルラジは小説や漫画としても展開されているが、公式サイトのイントロダクションに「彼女たちのラジオが実際に聴けます」とある通り、私たちはガルラジというラジオ番組を実際に聴くことができる。また、物語内の時間が私たちの現実の時間と同じ(いまこの瞬間もガルラジメンバーは私たちと同じ時間経過のなかにいる)という設定なので、私たちリスナーはガルラジの生放送を"リアルタイムで"聴くこともできた。

キャラクターがラジオをし、私たちがその番組を聴く。生放送のラジオ番組でのトーク自体が同時にガルラジの物語にもなっている。私たちは〈ガルラジ〉なるものを、物語であると同時にひとつのラジオ番組でもあるものとして受けとることになる。私たちはガルラジという作品の受け手であり、かつガルラジというラジオ番組のリスナーだ。

番組は隔週で放送され、その間にあった出来事はトークテーマになることもあれば、ちょっとした一言のなかに表れることもある。例えば、ガルラジ1stシーズンのチーム富士川第2回の23分あたり、白糸結がラジオの構成台本の制作を投げ出して逃げた話は放送内ではその内実はほとんど分からないが、ニコニコのガルラジチャンネルで公開されている小説を読むと分かる。発売中の電子書籍版の小説を読むと他にもいろいろなことが分かる。


静岡を拠点とするチーム富士川は、構成作家・白糸結、メインパーソナリティ・年魚市あゆちすず、プロデューサー・金明凪紗から成っている。1stシーズン(2018年12月〜2019年3月)の第1回目からすでにナンバーワン獲得への意識がとても高く、2ndシーズン(2019年7月〜10月)では見事にそれを実現させたのだった。そして2020年1月には、チーム富士川のガルラジナンバーワン獲得を記念して公開録音が行われた。

ガルラジは、回を追うごとにメンバー同士の関係が深まっていくのがトークの内容や様子からうかがえて、またそれと軌を一にするように、声優さんの掛け合いもどんどん自然なものになっていく。キャラクターのセリフ、声優さんの演技、その瞬間ごとのアドリブなど、さまざまな要素が混ざり合って〈ガルラジ〉ならではの生き生きとしたトークが生まれる。これがとても面白い。富士川ナンバーワン記念の公録イベントは、その様子を間近で見て聴くことができた貴重な機会だった。


ガルラジのキャラクターたちは、シナリオ上のセリフと「中の人」によるアドリブ要素多めの演技とが混ざり合って生まれた不思議な個性をもっているが、ガルラジにおいてはリスナーもまた不思議な仕方で存在している。

ガルラジという作品は物語なのだから、ラジオで読まれるメールにも物語上の(いわば架空の)リスナーのものがあり、また、実際に放送されているラジオ番組なのだから"実際の"リスナーからのものもある(私たちは番組宛てに実際にメールを送ることができた)。そしてもちろん、聞いているだけのリスナーも同様の仕方で(つまり架空に・実際に)存在している。
だから番組内でガルラジメンバーが「リスナーの皆さん」「リスナーさん」と呼びかけるとき、その「リスナーさん」は、物語上のリスナーと"実際の"リスナーである〈あなた〉とを同時に指しているといえる。
また、ガルラジメンバーの方から見れば、物語上のリスナーと"実際の"リスナーは等しく「リスナーさん」であり、それらの間を区別するものは何もない。

だとすれば"実際の"リスナーである〈あなた〉は、物語上のリスナーと同じく、ガルラジという作品の物語に登場する人物としての「リスナー」の一人だと言うことができる。

その場合、ガルラジメンバーから「リスナーさん」と呼びかけられているリスナーのうち"実際の"リスナーには、架空のリスナーと違って、リスナー役のいわば「中の人」として〈あなた〉が存在していることになる。

2020年1月、チーム富士川公録イベントの終わりの挨拶で、新田さんが会場に集まったガルラジリスナーを改めて見渡して「皆さんも、リスナーさんの中の人なんですよね」とつぶやいたときに指していたのは、そういう"実際の"リスナーたちのことだった。

白糸結というキャラクターの「中の人」として声優・新田さんがいるのと並んで、白糸結がチーム富士川の番組台本の制作を担っているという側面における「中の人」(シナリオライター等)もいて、番組プロデューサーの凪紗にも同様に「中の人」たちがいて…という話の流れから自然に出てきたこの「リスナーさんの中の人」という言葉は、しかし、いわゆる「キャラクターの中の人」とは違ったガルラジ独特の趣をもっている。

というのも、白糸結役の新田さんは白糸結を演じることで白糸結に"なる"のだが、〈リスナーの中の人〉はわざわざ「リスナーさん」を演じることがない。というよりも〈リスナーの中の人〉は、役者が役を演じるようには「リスナーさん」を演じることがそもそもできない。
架空の人物を想定してその人になりきったつもりでガルラジを聴いたりメールを送ったりするということも、やればやれるには違いないが、それは普通のラジオをそのように聴こうとするのと何も変わりがない。この場合、単に或るひとりのリスナーが架空のリスナーを演じている(いわば嘘をついている)だけであって、〈リスナーの中の人〉自身がそのまま「リスナーさん」であるのとは違っている。
すでにそのラジオのリスナーであるからこそその人は自身とは別人である架空のリスナーを演じることができるのだから、そのような演技は、〈リスナーの中の人〉が同時に「リスナーさん」であるという事態のずっと後にしか起こらない。

〈リスナーの中の人〉は確かに(物語内に登場する人物という意味での)「リスナー」の「中の人」だが、その「中の人」はやはり"実際に"ガルラジ(というラジオ番組)のリスナーなのだから、〈リスナーの中の人〉という言葉は再びただリスナーであるその人自身を、つまりラジオを聴いている(「リスナーさん」として呼びかけられている)〈あなた〉自身を指し示している。

また、チーム富士川ナンバーワン記念イベントの公録パートが配信された際に、春野杏さんが「記念イベントに来られなかった設定のリスナー役のキャスト様方、お待たせいたしました」とツイートしたときも、この「リスナー役のキャスト」(リスナーの中の人)の「来られなかった設定」というのは、何かを演じたり想定したりすることとは何の関わりもなく、ただ来られなかったという事実を指している。

新田ひよりさんと白糸結というキャラクターは別人だが、〈リスナーの中の人〉と「リスナーさん」は別人ではない(その意味では、実際のリスナーに"中の人などいない")。役者のように"役に入る"ことなしに、〈リスナーの中の人〉はすでに始めから「リスナーさん」である。

「リスナーさん」である〈あなた〉は、もちろんガルラジのコンセプトを理解しながら聴くのであって普通のラジオのリスナーのように聴くのではない。しかし普通のラジオではないからといってガルラジは架空のラジオ番組なのでもない。"実際に"放送されているのだから、まさか架空の番組であるはずがない。
ガルラジリスナーは単に普通のラジオのリスナーであるのでもなく、「リスナー」と「中の人」とに明確に分離できるような"リスナーの中の人"であるのでもなく、〈リスナーの中の人〉であると同時に「リスナーさん」であるという二重性において存在している。
それは、ガルラジリスナーがガルラジを物語として受け止めつつひとつのラジオ番組としても聴いている(ガルラジが物語であるとともにラジオ番組である)からであり、これらのことは「リアルでありリアルでない、物語であり物語でない。」(公式サイトのイントロダクション)というガルラジの独特さに由来している。

「芝居かな ほぼほぼ松田 でも芝居」(ガルラジ情報局#第6回・御在所)と言われるような、「中の人」の個性がキャラクターの言動に強くにじみ出てくる演技と、"実際の"ガルラジリスナーがもつ二重性、この二つは別々の事態ではあるが、共にガルラジという作品の不思議な面白さに関わる根源的な要素だと思う。


さて、先ほども書いたように、ガルラジメンバーの方から見れば物語上のリスナーも"実際の"リスナーも等しく「リスナーさん」である。
これは、すでに〈あなた〉がガルラジという物語のなかに繰り込まれているとも言えるし、あるいは物語上のリスナーもまたこの世界のどこかにいるリスナーのうちの一人であるということなのかもしれない。いずれにせよガルラジの「リスナーさん」には架空のリスナーから"実際の"リスナーまで幅広く多様に存在している。ガルラジメンバーはラジオを通して、そういうすべての「リスナーさん」へ向かって語りかけている。

だから、チーム岡崎1-1で春花が(いわば架空の)リスナーに向けてした応援は、そのリスナーと同じような境遇の"実際の"リスナーにも届く。
〈あなた〉はそのメール投稿者ではないけれど、ひとりのリスナーとして春花の言葉を切実に聴くことができる。
これは、どこかの誰かの相談メールとそれに答えるパーソナリティの話を聴きながら他人である〈あなた〉が励まされることがある、というごく普通の(それでいて奇跡のような)ラジオ的な出来事だと思うが、普通のラジオで起きるこの出来事とガルラジリスナーに起きるそれとの間には何か違いがあるのか、それともないのか。

確かなことは、ガルラジは、それが"実際に"ラジオであることによって、まぎれもなくひとりのガルラジリスナーである〈あなた〉へ向かって語りかけているということだ。〈あなた〉は物語の世界に入りその世界の「リスナー」役になってガルラジを聴くのではなく、何よりもまず先に、この世界のこの現在で、他でもない〈あなた〉としてガルラジを聴く。
〈あなた〉がいるこの世界にガルラジがあり、"実際に"ガルラジが放送されているということ、つまり「彼女たちのラジオが実際に聴け」るということが、ガルラジメンバーとあらゆるガルラジリスナーをつなげている。

ガルラジという物語があり、ガルラジというラジオを実際に聞くことができる。この、ガルラジがある、という単純な事実があまりにも不思議で面白い。


ところで、〈あなた〉が聴いているラジオの向こうには、そこでトークをしているガルラジメンバーがおり、そのラジオの外には、トークでは語り尽くせない彼女たちの日常が広がっている。そしてそのような"外"は、そこでリスナーがラジオを聴いているところでもあり、リスナーの日常があるところでもある。
〈あなた〉が聴いているラジオの向こうには〈あなた〉以外のリスナーがいて、〈あなた〉と同じようにガルラジを聴いている。彼女たちのほうから見ればラジオの向こうにはすべての「リスナーさん」がいて、リスナーのほうから見れば、ラジオの向こうにはガルラジメンバーだけでなく〈あなた〉以外のすべてのリスナーがいる。
チーム御在所2-6で、かぐりんがガルラジメンバーとリスナーとを含めた皆を指して区別なく一語で「僕ら」と呼んでいたが、ラジオはそういう「僕ら」がいる場所にただあって、「僕ら」ひとりひとりのあいだに静かな結びつきをつくっている。

「距離も時間もとびこえて、僕らはラジオでつながれる」というのは本当のことだと思う。




ガールズラジオデイズ チーム岡崎『こちら、オカジョ放送部』第1回


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