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蔦の茂る空

物語からエッセイに変わってしまった文です。

私の少年時代を過ごしたかつての家。人の夢は現実になり、空き家が増え、ショッピングモールには高齢者が多い。若者の多くは自分は何のために存在するのかを考え、それでも仕事があるから早々に考えを切り上げて電車に揺られる。この時代の変化はそうゆう世代交代でしかない。
酷に今には誰も住まなくなっている空き家すらも、それも仕方がないと割り切っている。
家族4人。隣の家に爺。一般年収の手取りよかはいい暮らしをしていた。それでも家族仲は良くなかった。楽しい思い出も幾らかはあるが、喧嘩が多かった。誰のせいか論争は辟易とするほどした。
幸せそうとは何度か言われた。その度に疎外感を感じていた。姉もそうだったと思う。僕らの何処が幸せそうなのか。他人同士、自分の家の幸せなど形容しがたいのだろう。比べる相手がいて自分は幸せだななどと言えるのだとしたら、道徳的にいい事ではない。
道徳とは何であろうか。誰かが決めたルール。アメリカでは日本人は真面目すぎるらしい。体育の授業は各自好きなことを軽くやって、アイス屋さんが来たらアイスを買っていい。道徳など馬鹿らしい。
そう思えるようになった。
楽に生きていたい。
こう思えるようになった。
他人と比べて私たちは幸せだなと言ってもいいだろう。

私たちは人類の一端でしかない。羽が生える練習もしなくていい。恐竜から逃げなくても安全に生きれる。なんなら生活保護まである。
仕事をしないと生きていけない。いつクビになるか分からない。公園で寝る生活は嫌。
今ある生活をいつ失うか怯えながら生きている。小学校から高校生までは何にも縛られない。唯一のモラトリアムだとおもうかもしれない。いつからか大人になることを、諦めること 現実を見ること 自由でいないこと に変えてしまった。(*1)学習水準が高いからといって保証される仕事もない。青空の教室。終わりがない。
日本では当たり前になって、人より抜けなければ良い生活が出来ない。
嫌なことをどれくらい出来るかで評価される気がする。
便利化されてやることがない。怠惰になる。だらけること自体に嫌になる。真面目だから。寝てていいのか。勿体なくないか。そんな事は考えなくていい。眠かったら寝る。
人に迷惑をかけない。人生の教訓。
どうしたって迷惑かけてしまう。完璧を求められる。そのギャップに違和感を覚えて立ち直れなくなる人ごまんといる。
適当でいいよ。完璧を求める人は自分自身イライラが募るし体を悪くしている。
合格ラインを決めて達成していれば問題は無い。泥団子は歪に完成させてしまう子供だった。完全な丸でピカピカに磨いている友達のが羨ましかったけど、一生懸命やっていたし楽しかったから。
僕はこれからもそこそこの合格を求めていきたい。与えられた機会を存分に生かしていこうとは思わない。
ちょっとだけ本を読んで、ちょっと勉強して、ちょっとお金を稼いで、ちょっと楽しいことをする。人生辛いことは高すぎる目標を求められた時と、自分で求めた時。
泥団子みたいに楽しいことは進めて行くだろう。人よりちょっと出来るようになった時、お金も貰えて楽しい自分が好きになれる気がする。
それと他人に好かれること。褒めてもらえること。なにより早い自分の好きのなり方。
好きな人が自分が好き。それだけで自分を好きになっていい。たったそれだけでいい。

*1 レペゼン地球YouTubeより:https://youtu.be/PPnbEiXSYM8

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