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書くことが、変化して行くこと

 昨日はお昼から、まるネコ堂で開催される文章筋トレに参加した。参加者は共同主催者のO氏と友人のTさんとぼくの3人。近況をそれぞれ報告してから、90分の文章筋トレを開始した。

 あっと言う間の90分で書き上げた3人の文章をプリントアウトして、それぞれ読み込み、感想を言う。
 O氏の文章は記事になる前のラフスケッチのような感じ。考えていることを言語化して記事にする過程を垣間見るようだった。読ませる内容だなぁと感じる文章。
 Tさんの文章は内側と外側のバランスが調ってくる感じ。今のTさんの状況がそのまま表出しているかのように読んだ。内と外が呼応しながら、ある場所に落ち着きつつある文章。
 ぼくが書いた文章については、昭和なカメラアングルで撮影されているような文章、松田優作が歩いていそう、という感想をもらった。そう言われてみるとそんな感じがしてくる。
 三者三様、それぞれの方向に向かって伸びる枝。広がる世界。

 文章筋トレに参加しはじめてからの、書く感じの変遷を少し書いてみる。

 参加しはじめて間もない頃は、書いている状況(身の回り)から書く材料を探し出して、ひたすら書く感じだった。例えば、机の上に置いてあるコーヒーカップ、窓の外から聞こえてくるピアニカの音、陽が差してくる光の暖かさ、など。

 何回か参加して慣れてきてからは、事前に書く内容を考えて、仕込んできたネタについて、書くようになった。例えば小中学生の時に体験したことや職場での上司とのやりとり、など。(O氏に「トラウマシリーズ」と命名してもらった。)

 それで、昨日の文章筋トレでは新しく試したことがあった。ここ2週間ほど朝の書く時間に連続して書いている話があり、昨日の文章筋トレでは、その延長線上として、続きの話を書いてみた。

 書いた内容のことはさておき、昨日は、手がかりをたよりにひたすらに書くドキドキ感や、ネタを完遂しなければ、というような焦りのようなものがなくて、とても落ち着いた感じで書くことができた。

 一年前から一月に一度ほど文章筋トレに参加してきて、書くことについて変化してきた感じがする。おそらく書く内容も変化しているのだろうけど、それとともに、どんなふうに書くのかという、少し広めのことに対して、幅が出てきた感じがする。

 毎回、書くのが楽しい。感想をもらえるのがとてもうれしい。参加した人の文章を読むのが面白い。シンプルに言うと「時間を決めて書いて、読んで、感想を言う」だけなんだけど、とても豊かな時間になる。なので、また参加して、書きたくなる。

 読む書く世界は、とても懐が深い。
 そこに居ると、ぼくは生きている感じがする。

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