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営業はラブレター。

「どうやってこのお仕事をするようになったんですか?」と聞かれることがある。それはだいたい、初めましてのご挨拶をするとき。

私がいま広報ライター・編集者として活動しているのは、もともと会社員で働いていた時代に広報のライティングをしていたことがきっかけになっている。その会社には専任の広報がいなく、アパレルでもあったため、店舗の宣伝広告やポップ、求人などテキストを書いて発信しなければならない場面は多くあったし、私はそれが好きだった。

いわゆるインハウスエディター的な感じなのだろうけど、この仕事は他のメインの職種(店長)に追加されていたものなので、広報やライター・編集者といった肩書ではない。もちろん、輝かしい人脈もなかった。

国際結婚をして移住地で新たな人生をスタートしたとき、ゼロからキャリアを構築しなければならないなら、年齢的にも、もう好きなことにしか全力を注げないと思い「書く仕事がしたい」と心に決めた。

まったく有名でもなく、人脈もなく、海外に住んでいるためリモートで業務を行う。こんな条件で一体だれが私に、このやりたい仕事をさせてくれるのだろう。依頼する人の気持ちを考えると、まずはNGだよね。というのが自分を客観的に見たときの感想だった。

そのため、ライター・エディターとして専業で仕事をしたいと思ったときには、ほぼ毎日日課的に営業や応募をした。その数はもう数えていないけれども当初100を超えていたのは確かだ。

実績もほとんどなく、無名の私が単なる飛び込み営業で仕事を得られるとは考えにくい。数撃ちゃ当たる戦法はまったく意味がないと思っていたので、今ある私のスキルや条件でお役に立てそうな会社やメディア、そして私自身がファンになれそうな企業をリサーチするところから始めた。

気になる企業のHPをまんべんなく拝見し、その会社のリクルートページも見て、現状人は足りていそうか? 書き手はいるか? どんなことであれば自分はこの会社に役立てそうか?(これが初コンタクトを取る時の提案材料になる)をリサーチしてから、提案ベースでメールを送った。

ときには企業のプレスリリースで、報道されたニュースで、その会社の存在を知り、タイムリーにコンタクトを取ることができ、お仕事の依頼につながったこともあった。

一度案件がスタートすれば、1,2年とご一緒させてくれるクライアントさんも多かったので、そこでコツコツと実績と経験を積んで、ポートフォリオ用のHPを作り、SNSも少しづつスタートし数年かけて地盤を作っていったのだ。

とんでもなく労力も時間もかかっているけども、好きなことのためだったから大変だな…と思うことはなかった。送っても送っても、素っ気ないテンプレのお祈りメールばかりを受け取るときは、しんどいなぁと思うことはあったけども、提案ベースで営業をしたからか好意的、面白がってくれた会社さんも少なからずいて…だからくじけずに続けてこれたのかもしれない。

今となっては営業をしてよかったなと思う。リサーチ力を磨くことができたしやマーケティング思考もプロではないが身につけることができた。それに、その会社や相手が求めているであろうことを想像して、仕事をすることがデフォルトになった。

ありがたいことに、今では人のつながりや、リピートしてくださる企業や編プロさん、HPやSNS経由でお仕事のご相談をいただくことも増えてきたので前ほど営業をすることはなくなっている。そして、現状いただいている案件に全力を注ぐことができている。

それでも私はやっぱり営業を止めるつもりはない。だって、面白い会社や世のため人のために事業をしている素敵な会社はまだまだたくさんあって、その方々が、この名もなき私を大海原であるネットを通して見つけてくれることは奇跡に近いと思っているから。

同じ仕事をするなら、惚れることができる会社さんと一緒に仕事をしたいし、それを自分の手で選べる唯一の方法はいまのところは営業じゃないかと思っている。(無名だからね 笑)そしてなにより、だれかと出会うには自らコンタクトを取ることが一番手っ取り早い。

私にとって営業とは一種の「ラブレター」みたいなものだ。興味のある人へ、気になっています、ご一緒しませんか?と伝える。わくわくする。  好きな人や会社と仕事をする。自由に働くとはそういうことじゃないのかなと思うのだ。

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました!