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片付けに依存する時があってもいいと思う

こんにちはミニマリスト【志望】ライターのノーンです。
現在集中して取り組んでいることがあり、随分と間が空いてしまいました。
本日はタイトルのとおり「片付けに依存する時があってもいいと思う」というお話をしたいと思います。

依存は悪いものだけど、死ぬくらいなら依存する方がまし

一般的に「依存」は悪いものとされており、できるなら何にも依存しないで済めば、それに越したことはありません。自分の足で立っていることができれば、それがベストです。

しかし、誰しも生きていると、もうどうしようもなく辛い時というものが訪れます。
そんな時、死を選ぶくらいなら、一時的に何かに依存することがあってもいい。私はそう考えます。
もちろん依存対象は「法に触れず健康を害さないもの」という前提です。

お片付けは「目的」ではなく「手段」ですが、本当に死ぬほど辛い時はそれが目的になってもいいと私は考えます。

ひとまず何かを掴んで生き延びれば、後は何とかなる

大切な人や動物の死、別れ、何かの喪失、破綻。
大人になるとそんな時でも、大抵は働かなければ生きていけないので、辛い中で仕事をしたり、平静を装って笑っていなければならないことがあるものです。自分でどうにかできることならいいのですが、そうとも限りません。

そんな時、ひとまず生き延びるために何かを掴んでそれに頼ることは、死ぬことに比べればずっと有効な手段だと思うのです。

死ぬくらいなら、ひとまず何かを掴んで生き延びれば、後は何とかなる。絶対そうだと言い切ることはできませんが、死んでしまうことに比べれば、その可能性は高いと言えます。

たとえ「依存」を使っても乗り越えてしまえば、乗り越えた後は、確実にそれ以前より成長しているのです。自分ではわからなくても。

そして、その乗り越えたパワーと成長した部分で、依存も脱出できると思うのです。

依存してしまっても、後悔しにくいお片付け

しかも、それがお片付けなら、こんないいことがついてきます!

・家が片付いて環境がよくなる、暮らしやすくなる、効率がアップする
・空いたスペースに、新しいご縁や運が入ってくる
・その他のものへの依存に比べて、実行したことを後悔しにくい

加えて片付けは「もので心の隙間を埋めている」という「物質への依存状態」を脱却できる手段なので、たとえ依存したとしても「物質への依存」を脱却できるなら、最低でもプラスマイナスゼロ。

そして片付けた結果「物質への依存状態」を抜け出すと、そこからはもう自分の足で立つしかなくなります。

つまりこの時点で「成長」が起こっているので「プラスマイナスゼロ」ではなく確実に「プラス」になっているのです。

私も現在、絶賛・お片付け依存中

私ごとですが、私は現在、人生のどん底から這い上がっているところです。
失業、結婚が白紙、愛猫の死がほぼ同時期に起こり、しかし辛くても仕事をせねば生きていけないので、新たに始めたライティングの仕事と勉強をしながら、仕事探しをしてきました。

私は元々、3年ほど前から断続的に大規模なお片付けを行っています。それがひと段落し、ここ数か月落ち着いていたのですが、また最近火がつきました。今回は「過去最高」と言えるほど加速しています。これまで超えられなかったハードルをどんどん超え、おそらく所有物の量は、最も多かった頃の1/5を切りました。

しばらく集中して何かをやった後は、片付けたくてたまらなくなり、片付けまくるというループ。

集中→睡眠→片付けのループ

午前中に仕事や勉強をするとその後猛烈に眠くなり、昼寝をして昼食を食べた後、午後はものすごい勢いで不要品の分類をするというのが、ここ最近の毎日のルーティンです。

おそらく、しんどい中でもやらなければならないことが多い中で、私は元々好きだった片付けでバランスをとっているのです。
かなり依存していると自覚していますが、ひとまず今日、死を選ばずに生き、明日も、できれば来月も生きていられるなら、この依存はありだと思っています。

片付けストッパーのからくり

お片付けには、あるひとつのストッパーがはずれると「これが手放せたのなら、これも、もしかしてあれも手放せるんじゃない?」と気づき、芋づる式に手放せるものが増えていくからくりがあります。

現在の私にはこのからくりも働いているものと思われます。

長年の課題であった「思い出」系グッズや「親にもらったもの」が捨てにくいことなどをどんどんクリアし、自分のスペースの中で、捨てられないものがあり長年モヤモヤしていたゾーンがどんどん片付いていっています。

最も建設的で、健康的な依存対象、それがお片付け

お片付けは、依存する対象の中では最も建設的で、健康的なもののひとつだと私は考えます。

「一時的に気が紛れても、根本的に解決していなければ意味がない」のはもちろんですが、死を考えるほど辛い時、もしそれがあなたにとって精神安定剤になり得るなら、ひとまずその辛さををやり過ごすために、捨てまくってハイになるのも、心を落ち着けるのもひとつの手であると思うのです。

「泣きながら寝ているしかできない」ような段階では、まだ何かを片付けようという元気は出てこないかもしれませんが、少し落ち着いた時にちょっと片付けてみると、気持ちが落ち着くかもしれません。

もしあなた依存対象かお片付けじゃないとしても、頼れるものがあるなら頼って、どうか生き延びてください。

寄付先のご紹介

最近、Twitterで教えて頂いた寄付先をご紹介します。
「思い出系」「親からもらったもの」を手放すのに有効だった寄付先です。

こちらのワールドギフトさんは、下記の点でお勧めです。

・受け入れ品の対象範囲がかなり幅広い
・有料だが、仕分けや発送などは先方で行なってくれる
・壊れていたり不衛生なもの、期限の切れているもの以外であれば、使いさしのもの、生活雑貨など日本で売ることのできないものでも、遠い国の誰かに使ってもらえる可能性がある(サイトから対象品を確認してくださいね)

「私も現在、絶賛・お片付け依存中」の下の画像が、今回寄付するものの一部。親からもらったものに加え、折りたたみ傘、色んな香りを持っていたものの使うものが限られて来て処分に困った香水なども、使いさしでもOKとのことで、大変助かりました。

今回「廃棄」ではなく「寄付」であることで、母が大量に保管している手芸材料も手放す了承を得ることができました。私が子どもの頃、母が服を作ってくれるのに使われたレースやチロリアンテープの残り。しまい込んでおくより、どこかの国でお母さんがお子さんにお洋服を作るのに使われたなら、材料たちもずっと幸せでしょう。

大きなダンボール箱が用意できない場合は、衣装ケースに入れての発送も可能(上からビニールなどで中身が出ないようにカバーする必要あり)。私は空いた衣装ケースがあるので、これも寄付する形で、梱包に使いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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