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支え合いと任せ合いの境界線

 私の住む南三陸町では、「お手伝い」のことを「おでって」と言います。南三陸町に限らず、宮城や岩手あたりの東北地方の方言のようです。東日本大震災後、私を含め町にボランティアに訪れる人はみな「おでってさん」でした。今回は、そんな「おでって」から学んだことを書き残したいと思います。

□「おでって」の領域

 私は東日本大震災からしばらくして、ボランティアで南三陸町へ通い始めました。しばらくは毎月、そのうちボランティアセンターのリーダーの仲間に入れていただいてからは、毎週夜行バスで東京から宮城へ通うようになりました。大学生だったので、月~木曜日は大学やサークル、バイトをこなし、木曜日の夜行バスで仙台へ。そして仙台の始発に乗り、バスに乗り継ぎ、金曜日の朝からのボランティア活動に間に合わせていました。宿泊は毎日この軽自動車の中。日曜日の活動を終えるとそのまままた仙台へ出て、夜行バスに乗って東京へ、そこからまた大学へ通うという日々を3~4年続けていました。社会人になっても、しばらくは夜行バス、そのうち新幹線に切り替えながらも、2017年に結婚するまでほぼ毎週末通い続けていました。

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寝泊まりもしていた初代愛車

 震災復興のための「おでって」には色々あって、3年目くらいまではがれき撤去が主でしたが、海と共に生きる町である南三陸町では、通年でも何かしらの漁業支援はあるものの、大体2~3月から養殖わかめの出荷に向けたおでってが集中的にありました。わかめが終わってもめかぶの出荷が続くので、合わせて5月くらいまでは、がれき撤去も並行しつつ漁業支援にも集中していました。

 がれき撤去が落ち着いてくる3年目以降からは、さらに農地にできる場所を作るための農地復旧作業が増えました。主に2通りあって、1つは細かながれき(陶器やガラスやコンクリートの破片、細かなビニール、金属など)を取り除いて不純物を取り除く作業です。そしてもう1つは、高台造成のために切り崩した山の土を復旧したい塩害を受けた農地に被せているケースが多かったので、機会が傷まないように大きな石を取り除くという作業でした。

□目の前の支援と、未来への支援

 震災復興のボランティアは、しばらくはどうしても「被災者」と「支援者」の構図でした。しかし、仮設住宅で暮らし、生活も苦しいはずの皆さんでも、「毎日絶えずに南三陸町を訪れるおでってさんたちに何かお礼がしたい」と差し入れをくださったり、お話をしに来てくださったり、一緒に作業をしてくださったりする方もいました。もちろん、そのように動くことが難しくても、あるいは気持ちの整理がつかなくて現場に行くのが辛いという方でも、「いつまでも支援されているのではなくて、自分たちで動かなければ」という気持ちと闘っている方もいました。

 私たちも、最初は「力になれることは何でもしたい」と思って通っていました。しかし、途中から、「してあげ過ぎてはいけない」と現地の方に教わることになります。「してあげ過ぎる」の領域がどこまでか、というのはとても難しいところなのですが、もう少し具体的に言えば、「何をしてあげて良いか」の線引きが重要なのではなく、「ここまでしてあげて大丈夫か」の線引きが重要になると言ったところでしょうか。

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ボランティアの様子(南三陸町災害VCブログより)

 一時的に訪れる私たちは、ある意味無責任な存在です。1日、2日と活動日を決めて全力でおでってをして、「行って良かった」「力になれて良かった」と帰っていくだけなのです。だから、その日できることは、役に立てるなら何でもしてあげたいと思ってしまいます。しかし、ボランティアにはいつか終わりが来ます。がれき撤去もいつかは終わるので、それはボランティアで完結して良いことだとも思いますが、漁業支援や農業支援の手助けが絶えて、「ボランティアがいなくなったからもうできない」という状況を作ってしまうことは、結果的に支援になったと言えるのか、考えなければなりません。

□「被災者」「支援者」から「友達」へ

 まだ学部生の頃に、慶應義塾大学の南三陸プロジェクト報告会にお招きいただき、ゲストとして講演させていただいたことがありました。その時の質疑応答に、こんなやり取りがありました。

―「ボランティアに行く、ボランティアをするって凄いなと思ってしまうけれど、どうしたら若者にもボランティアが広がると思いますか」
―「私も最初はボランティアってハードルが高くて、凄いことだと思っていました。でも今は、“隣の席の人が消しゴムを忘れていたら、貸してあげる”ようなことだと思っています。自分が貸せる状態でなかったら、例えばテスト中とかだったら貸してあげられないと思うけれど、授業中だったり、2つ持っていたりしたら、貸してあげられる。その時、貸してもらった人は感謝するだろうけど、貸した側としても別に見返りは求めていない。でも、それを機にもっと仲良くなれたりとか。そんなものじゃないかなと。ボランティアも、自分が無理してまでやってしまうと、それは受ける側も申し訳ない気持ちになるし、どちらも辛くなってしまうから良いことではないけれど、余裕があるから力を貸してあげるという構図は、災害ボランティアでも、この教室で起こることでも、一緒だと思うんです」

 実際外国でも、楽しく無理なくできることを“ボランティア”としてやっていることが多いです。お菓子を作って、それを売って、その売り上げを寄付するというボランティアもありますが、お菓子を作る余裕がある人達はそれを楽しめるという要素があるし、寄付で支援を受けられる人たちは支えられていて、WIN-WINになる。その二者が実際に触れ合うことができないケースもあるだろうけれど、「被災者」と「支援者」ではなく、力を「借りた側」と「貸した側」が「友達」になっていくようなおでっての在り方が理想なのではないか、と私は思っています。実際、そういう関係性を構築できた漁師さんや農家さんは、震災からもうすぐ10年経とうとしている今でも、シーズンが来ると個人的におでってに訪れる「友人」がいます。

□私にできる「おでって」の範囲

 こういった災害ボランティアを通じて得た経験や考え方を持って、今回南三陸町でも受けたコロナの打撃に何ができるかを考えました。特に宿泊業界と飲食業界に大きな影響が出ていました。ここでもし、自分に何か特別なスキルや知識や影響力があったら、きっとどちらの業種にもおでってできたかもしれません。ですが残念ながら、私にはどちらの業種に対しても特別なスキルも知識も、そして救える影響力も持っていませんでしたし、特別ITに強いわけでもなく、補助金申請に詳しいわけでもない。コロナの影響で仕事が減り家に居るだけの日々が続いたとはいえ、食うに困るわけでもない自分が、何もできないでいることにもモヤモヤし続けていました。

 そんな中でも、じわじわと各飲食店がテイクアウトを始めるようになり、各々のSNSなどで発信し始めていきました。私は元々が「通っていた」立場だったので、比較的まんべんなく町内のお店で食べていたために繋がりがあり、情報もキャッチしやすい状態でした。しかし、元々町民の皆さんは、自分の居住・活動エリアだったり、営んでいるのが親戚・友人だったりと繋がりがあるお店しか行ったことがなかったりもします。テイクアウトした商品をSNSに投稿すると「そのお店もやってるんだ!」と反応があったり、あるいは、高齢になってくると「ネットで色々検索するのが面倒でなかなか情報探せない」だとか、働き世代が忙しい時間に「今日はどれをテイクアウトしよう」と考えるなら一覧表が欲しいという声もあったり。そこで、町内の飲食店で検索して引っかかった発信情報を寄せ集めた、「コロナに負けるな!みんなで食べて元気になろう!ネット上の南三陸町内テイクアウト勝手にまとめてみました」を作成しました。

 すでに町の観光協会もGWまでに配布したいとチラシ作成をしているという情報がありましたが、まだそれまで1週間程あったので、質はその後に任せて、まずはスピード勝負、せめてその1週間だけでも役に立てればと思い作成し始めました。得意なわけでもなかったので、あえてHPにしたりせず、PowerPointで編集、PDFに変換、Googleドライブで更新というシンプルな仕組みにしました。情報が更新されても、ちょっと手直ししてGoogleドライブに入れれば更新できるし、一覧表にしてSNSアカウントがあるところはリンクも貼ったので、スマホからもアドレス帳のように使えるし、PDFを印刷すれば冷蔵庫にも貼れるな、と思ったからです。

 各店がテイクアウトを始めて1週間程度経った初版の4月20日版では17店舗分でしたが、4月30日版では29店舗分になりました。その間、私にはない「スキル」と「知識」を持つ町内有志で立派なテイクアウトのHPもできました。近隣自治体の情報やクラウドファンディング情報なども含めて作成したHPができた(https://yeah-day.com/)ため、情報の充実さはHPに委ねて、私はあくまでもアドレス帳の役割だけ維持できればと思い(実際にそういう使い方で併用しているという声もあったので)、営業時間の変更などによる基本情報の更新だけ行いながらデータを残しています。

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作成したテイクアウト集①
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作成したテイクアウト集②
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作成したテイクアウト集③

□何のために動いているのかぶれないように

 今回私がこだわったのは、あくまでも「ネット上」から「勝手に」集められる情報に留めるということでした。そのため、知っているお店でも、すぐ近くにあるお店でも、大分悩みましたが、情報発信をしていないお店のことは載せないことにしました。なぜなら、あくまでも私が「おでって」の立場で動いたことだからです。本当は、訪問すればテイクアウトをやっているのか、営業時間を変えたのかどうかを知ることはそんなに大変なことではありませんでした。しかし、今回のおでっての目的は、頑張って発信している情報がユーザーに届いていないということから動いたことであって、「飲食店の営業や広報をしてあげる」のはやり過ぎだと考えたのです。

 ネット発信していなくても成り立っていたお店に必要以上に情報発信をくっつけてしまうと、むしろそのお店のキャパを超えてしまう可能性もあります。仮にネット発信ができないから代わりにやってくれという話を引き受けてしまうと、それを生業にしている人たちにとっては迷惑な話にもなります。逆に、コロナを機にネット発信を始めたというお店については、後からでも情報を追加させました。あるいは、観光協会などがヒアリングして後から掲載された情報についても、「ネットで拾えた」ということで掲載するようにしました。

 正直コロナの影響で自分にも時間がたっぷりできてしまったので、やろうと思えばとことんやることもできました。でも、今は「おでってさん」でもあり、町の循環の中に生きる一人の町民でもあります。「やってあげない」と言ってしまうとなんだか意地悪のようなケチのような印象になってしまうかもしれませんが、やるだけやったとして、コロナが落ち着いて自分が忙しくなったらサポートができないようになることは無責任にやらない、ということを最初に決めて動きました。そのレベルでできたことが、このテイクアウト集でした。

□自己満足でも良い、自己中にならなければ

 もちろん、その後それぞれの立場でおでってをした方々は、各々のできる範囲のこと、あるいはお仕事の立場でしたことであり、私より何倍も素晴らしいクオリティで、しっかり責任を持って持続されています。だから、決して質を上げてしまうとやり過ぎということではないです。ただ、今回の経験で、災害ボランティアで学んだおでってのスタンスみたいなものを改めて思い返したように思います。

 学生の頃、ボランティア活動の中で「自己満足でやるな」と言っていた大人がいました。まだ成人したばかりで大人の仲間入りができたかどうかの私には、「そういうあなたは自己満足ゼロなのでしょうか」と心の中で思っていました。ボランティアに来る人に、自己満足がない人なんていないと思うんです。もちろん、「ありがとうと言われたい」「お礼が欲しい」みたいな見返りを求めてくる人は少ないと思います。でも、多くのボランティアは、口にはしなくても「誰かの役に立ちたい」「困っている人に笑顔になって欲しい」という気持ちを持っていると思います。そして、それを達成しに来ることは「自己満足」だと思うのです。だから私は、「自己満足で良いんだ」と言うようにしています。その代わり、その上で最も大事なことは「自己中であってはいけない」ということ。

 目的を達成した結果が自己満足に繋がるのは良いけれども、自己満足のために動いたら、自己中心的な動きになってしまいます。言葉で言えば簡単ですが、人間は欲深い生き物ですから、相手を思いやったり周りを理解して動かないと、簡単にこの2つを間違えてしまいます。もちろん、私自身もその可能性のある一人です。「自己満足でも良い、自己中でなければ」ということを心がけて活動していれば、悪いことにはならないと思っています。

□支え合いと任せ合いの境界線

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落書き

 私は災害ボランティアを通じて、「人のため」になる領域はどこまでだろうかということを深く考えるようになりました。元々教育を学んでいた自分にとっても、「支援」と「自立」は大事な概念だと思っています。ボランティアというのはとても曖昧な立場で、社会的に立場を持った人たちが、立場関係無しに共に活動するので、活動に対しての価値観も、ルールも、やれる領域もやりたくない範囲も異なります。「ここまでやってあげたい」と良かれと思ってやったことも、「それはお前が勝手にやったことだ」と責められたり、ボランティア同士で責任を押し付け合う場面もしばしばありました。

 一方、よく見られるのは行政対民間みたいな構図ですが、立場を持って動いていると、「支え合い」ではなく「任せ合い」で、ネガティブに言うと「それはそっちの役割」「ここまで私たちのやること」「これをしたのはそっち」みたいな話が出てきてしまいます。逆にポジティブに言えば、専門分野の人に役割を委ねることで効率的かつ効果的に事が進むこともあるので、仕事の側面で見ればそのような仕切りが必要な場面も多くあります。しかし、例えばこのような小さな町全体がピンチになった時、どの立場の人たちも同じ町民であったり、あるいは血縁関係であったり、友達であったりするのが難しいところです。

 だから、その都度「支え合い」と「任せ合い」を考えて動かなければいけないと思っています。もちろん、自分で考えた境界線が正しいかどうかは分かりませんし、むしろ考えが甘くてうまくいかないこともあるかもしれません。でも、「それは支え合っていけることか、あるいはすべき立場に任せることか」を見極めること、そして、「それが本当に支えになるのかどうか」「自分がどこまでその支えを続けられるのか」「自分が責任持ってやれることは何か」ということをじっくり考えてから協力し合うことで、世の中が少し良くなるような気がします。

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