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南三陸まちづくり語らい会の話

 私はお仕事で、まちづくりに関する住民との協働のための場づくりなどのお手伝いをさせていただいています。そこでの経験を活かす、あるいはそれらの仕事に活かすための自主的な実践活動として、今は町民になりましたが、ボランティアで通っていた頃から南三陸町内で「まちづくり語らい会」という活動を実施してきました。最近も、伝承館を整備する計画があり、その場を使って町の皆さんと語らっています。今回は語らい会のきっかけと、語らい会から考えるまちづくりのお話です。

□震災後に感じたまちづくり企画の違和感

 前回の記事で災害ボランティアのきっかけについて振り返りましたが、東日本大震災をきっかけに、当時大学生だった私は被災各地へ、中でも宮城県南三陸町へ通い続けるようになりました。私が学生ボランティアバスツアーを企画するなどして少し目立っていたのもあり、社会人のボランティア団体や何かしらの活動をされている方ともご縁をいただいて、SNSなどで繋がったりもしました。

 2013年頃からだったでしょうか。そういった方々から、いろいろな企画のご案内をいただくようになりました。主に、これからのまちづくりを考えていくためのフォーラムだったり、ワークショップだったり。その頃の私は大学院に進学しており、並行して今の仕事に繋がるきっかけとなったまちづくりに関するお仕事のお手伝いをさせていただくようになっていました。まだまだまちづくりは素人でしたが、教育を学び、ことばを学び、被災地に学んでいる自分にできるまちづくりを模索するために、勉強も兼ねてお仕事をしていました。

 そんな私だったので、できるだけご案内いただいた企画に行ってみようと思い参加してみました。当時の私には、ワークショップにもいろいろあるし、進行の仕方、見せ方、面白かったり説得力のあるトーク力、提供する知識量などなど、様々な要素が新鮮で、学びでした。しかし、なーんか違和感が拭えなかった、というのも事実でした。

 この「なーんか違和の正体は、数回参加を続けてから分かります。自分は少しずつ馴染ませてもらっていても、当時結婚の予定も想定もなく、ただのボランティアでした。なので、自己紹介をする時にめちゃくちゃアウェイなのではないかと思い、緊張もしていました。しかし、自己紹介の順番を回していると、思いのほか同じように「町民じゃないんですけど」という方が多かったのです。主催関係者だったり、復興支援で長期滞在していて地域のことを少しよく知っている方だったり。

 そういう方々がいてはいけない、というわけではないと思いますが、この町の未来のために語る場なのに、どんなに良い議論をしても町の人たちがいないならば次に繋がらないのではないか、当事者意識で物事を動かせないのではないか、そんなことを思うようになりました。

□「南三陸まちづくり語らい会」の目的

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復興応援大使になった時

 そんな中、2014年に南三陸町から公式の「復興応援大使」に任命していただき、それまでのボランティアセンターを通したがれき撤去や漁業支援、農業支援のフェーズから、イベントの創出や伝統文化の継承、教育企画など、まちづくりに繋がるソフトの要素を維持して高めていくためにできることを考えるようになりました。

 すでに震災の翌月から続けられてきた「福興市」というイベントに参加するようになったり、神社の氏子さんたちの活動に参加してみるようになったりとできることを広げていきつつ、参加させていただくだけじゃなくて私自身が何か生み出せないかなと考えたとき、あの「なーんか違和感」を解消できる場がつくれないか、と思い立ったのでした。

 そして、その年から「南三陸まちづくり語らい会」がスタートしたのです。当時はまだ大学院生で、お手伝いで始めたお仕事でも勉強ばかり、今もまだまだかもしれませんが今の何倍も未熟者だった私にとっては、よそ者であることもあり、不安も多い大きなチャレンジでした。しかし「やらないで後悔よりやって後悔」がモットーなので、若さを理由に突っ込んでしまいました(笑)。

 そんな語らい会も、結婚する少し前までは十数回程開催し、オフ会なんかも開きました。当時予想だにしなかった結婚の話が出てからは、しばらくお休みしましたが、2019年からまた再開しています。そして、毎回語らい会のレポートを新聞スタイルで作成し、参加者に配ったり役場にもお渡ししたりしていました。

 以前は頑張ってテーマを編み出して、とにかく毎月やることを目標にしていました。町内を大きくエリア分けすると4エリアなので、毎月エリアを変えながら転々としていました。上手くいく時もいかない時も、とにかく「集う機会を生み続ける」ということにこだわっていたように思います。でも、それは通う立場だからできたことかもしれません。若さで勢いで始めた取り組みも、気が付けばかなりエネルギーを消費するものだと気付きました。結婚してからは「1回1回を大切にしよう」と思い、自分もちゃんと準備ができて、楽しめるペースでやるように心がけています。

□「伝承館」をめぐる語らいの場

 最近の語らい会は、最初にも書いたとおり「伝承館」がテーマになっています。これから新たにできる観光交流の拠点(道の駅など)の一部を町の伝承館施設にしようという計画が進んでおり、語らい会としては、その中身がどんなものになるのかを知ることや何を伝える施設にしようとしているのかを知ること、あるいは共に考えることの場として開いています。

 東日本大震災の被災各地で「震災伝承館」となるものが建てられていますが、語らい会の中では、東日本大震災のみでなく、これまでの歴史の中でも何度も繰り返してきた津波と町の関係やそこからの教訓など、町史にかかる伝承が必要ではないかという意見も多くありました。あるいは、建てた後に維持していくことが大事で、そのために外から来てもらえるための伝承とは何か、町民たちも利用できて後世に伝えたいと思う伝承は何か、と話し合っています。

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語らい会の様子

 数年前から計画は進んでおり、アドバイザーの方もいるのですが、なかなか町民が議論に入る場はありませんでした。いや、こう言うと「あったよ」と反論があるかもしれません。町民も参加している「〇〇委員会」「〇〇協議会」のような場は確かにありました。しかし、それは選ばれた「委員さん」で構成されたもので、資料も議事録もその他の人には共有されないものがほとんどです。

 その場に参加した委員さんではいけないということではないんです。その人たちも語らい会にも来てくださったり、委員会でも一生懸命取り組まれています。ただ、私が考える「町民を巻き込む」は、子どもも大人も、おじいちゃんおばあちゃんも、行政も民間も、移住者も、みーんなが一緒に活動できる場があることが大事だと思っています。そこで、町民であれば誰でも参加OKの語らい会で、テーマにしてみることにしました。

□語らい会で交わされる意見

 ここで伝承館がどうなるかということを言い切れるわけではないので、この計画がどうなっていくかは、今後の進捗に応じて何か書ければ書きたいと思いますが、語らい会の中で出た意見からいろいろ考えさせられることも多く、そして、年齢や立場関係なしにこのような素敵な意見が交差する場があることの意義を感じることができたので、ほんの一部だけご紹介したいと思います。(写真は当日のホワイトボードの一部です。)

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ホワイトボード

伝承館の話題の中で「伝(=伝える)」についてはいっぱい出てきていると感じています。一方で「承(=承る)」の話はまだまだできるのではないかなと思います。今あった「感謝」の話(補足:支援いただいたたくさんの支援に「感謝」を伝える伝承館にしたいという意見があったので)からは、訪れた人も地域の人と触れ合って「ありがとう」があり、地域の人も外から来てくれたことに「ありがとう」があり、感謝のやり取りが生まれる場になると考えると、そこに「承」があるのではないかなと感じました。

語らい会記録より

伝承館だからと言って、伝承館だけで考える必要はないと思っています。地域性を考えると、伝承館は地域の発着点でも良いのではないかと。町内の様々な場所で、伝承館のスペースだけでは賄えない機能を補うこともできると思います。それから、伝承館に来ていろいろ見たり感じたりした人が、次の誰かに何かを伝えることができることも大事だと思います。それができる仕組みとして、来た人がその場で感じたことを記して、持ち帰ってもらう、誰かへ伝える手紙を書いて次の誰かへ伝えてもらう、というような仕組みがあると良いのではないかと思います。

語らい会記録より

 このような意見が出ながら、信頼して専門家に委ねる部分も大事かもしれないという意見もあって、結局は町民も関心はあるし思いのある人もいるので、専門家にリードしてもらう部分はありつつも、町民主体で関わっていく部分の余白がどこにあるのかをもっと設定してもらい、それについては町民も積極的に深堀していきたいという話になったりしました。まだまだ未解決な部分も多く、課題も多いと思いますが、「A対B」ではなく「AとB」の関係になれるような語らいの場にできて、有難いなと思ったのでした。

□南三陸流のカレーをつくろう

 この伝承館の語らい会では、こんなことをお話させていただいたんです。

被災各地でも伝承施設を建てているように、震災に限らず伝承館は比較的よくある施設になりつつあって、今を料理に例えると珍しい料理ではなくどこでも食べられるカレーみたいなものだと思います。でも、チキンカレー、ビーフカレー、野菜カレー、海老カレーなどなど、何カレーにするか、あるいは色々入ったカレーにするにしても、料理手順や食材の活かし方でご当地の味になると思います。今は色々な食材が並んでいて、どれも良い食材ではあるものの、全部入れてしまうと美味しくないのではないか、あるいは一緒に入れて美味しくするならどう調理したら良いか、というところが町民側で不安なこともあると思います。だから、この語らい会では食材を切り捨てるというよりも、どうしたら今ある食材で南三陸流の美味しいカレーが作れるかということを皆さんと語らえたらいいなと思っています。

語らい会記録より

 今回の語らい会でいろいろな意見が出て、前よりも南三陸流の味が見えてきたような気もしました。語らい会を開くこと自体は何か直接的な力も権限も成果も見えないことが多いですが、それでも、興味や関心、思いのある人たちが集まって料理研究できるような場あるだけで、ご当地グルメは生まれるかもしれませんよね。だから、語らい会はあまり気負わずに、みんなで納得の味が作れるようなチャレンジの場として、継続してできるように今後も頑張っていきたいと思うのでした。


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