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蔑みや差別のない笑いがほしい

こんにちは。あすぺるがーるです。

RTで、こんな記事が回ってきました。

せやろがいおじさんは、なぜ“誰も傷つけない笑い”を目指すのか。「差別する側は、息を吐くように差別すると気づいた」

私はとある理由から、お笑い番組にどうも好感が持てなくなり、最近はあまり見ていません。

そんな私にも大変興味深い内容だったので、今日はこの記事を引用しつつ、お笑い界の差別的側面について話していこうと思います。


お笑いは差別の塊

せやろがいおじさんは、記事の中でこう語っています。

実は、1年前の動画の中で「女性蔑視の発言がありましたよ」と指摘がきまして。 内容は「SNSで画像加工した女性を見た後に実物見たら『ブス来たー』ってなりますよね」という発言で。お笑い界では割とよくある文脈です。
指摘に対して、一瞬「そんなつもりないから」「女性蔑視の気持ちないから」という反論をしかけたんですが、よく考えたら傷つく人もいるから、「不快にさせてすいません」と投稿したら、「お前なんも分かってないな」「そういうことじゃない」と反論がきまして。
そこで再度、自分の中で問題を因数分解して、「別に画像加工するのは女性だけじゃなくて男性もいるよな」「なんで女性に限定したんだろう」と思って。そこで、自分が無自覚に女性差別をしていたんだと気づいて。 自分が指摘されて、初めて差別する側は息を吐くように差別するんだなと気づきまして。
「不快にさせてしまってゴメンなさい」という謝り方も、ヤリをブンブン振り回してて「痛い、痛い」と言われているのに、「痛かったならゴメンなさい」と返すような謝り方で。まずはヤリを止めろよと。 自分の中でも、学びとして大きかったですね。

私は「せやろがいおじさん、よく言ってくださった!」と思いました。


今の日本のお笑いは、差別や蔑みの塊だと私は思うのです。


例えば…

これらのシーンは、出演者の方や特定の属性の方に対するハラスメントや蔑視、差別を含んでいると思います。


人の容姿を馬鹿にするのは、言うまでもないでしょう。

他人に恋愛関係について根掘り葉掘り尋ねられるのも、ものすごく不快な思いを思いをする人がいます。



「日常生活ではなくテレビだから何をしてもいい」のでしょうか?



出演者の方は「出演料を払ってもらえるから気にしない」と思う裏で「こんな風に言われるのは不快だ」と思っているかもしれません。

それに出演者がどう思うかと、視聴者がどう思うかは別問題です。


お笑い番組を見なくなったのには私側の個人的要因もありますが、このような現状も私の「お笑い離れ」に一役買った、と言っていいと思います。


お笑いと多様性の相性

──また、お笑い芸人と社会派のネタ、なんなら多様性を大事にする主張は少し相性が悪いと感じます。人を傷つけない笑いもあるけれど、どうしても幅が狭くなってきてしまう。

確かに多くの人を笑わせる表現というのは、形にするのがとても難しいなと思います。


笑いは悲しみより、個人や時間の枠を超えるのが難しい感情です。


同じシェイクスピアの作品でも、喜劇の「お気に召すまま」と悲劇の「ロミオとジュリエット」、どちらが有名でしょうか。

よほどのシェイクスピアマニアでもない限り、後者を選ぶと思います。


恋が報われなかったら、悲しい。

人が死んだら、悲しい。

それは、いつの時代も変わらず、ほとんどの人に当てはまると思いますが、

「わしが知ってることといやァ、雨の本性は濡れること、火は燃えること、夜の一大原因は太陽が見えなくなること、まァそれくらいだね。」(『お気に召すまま』紹介より)

というセリフで笑える人は、ごく少数だと思います。


自分や周りの人が面白いと思っていても、時流や「自分の周り」という枠を超えると、途端にウケなくなる。

今では「笑えない」下手すると「笑ってはいけない」ものが、つい最近まで「笑っていいもの」や「笑えるもの」とされてきていた。

これら多様性の副産物は、お笑い界の人にはとても重い宿命だと思います。


それでは「誰も傷つけない笑い」は実現不可なのでしょうか。

私は、違うと思います。


誰も傷つけずに人を笑顔にした先輩

私のサークルに、お笑いの才がある先輩がいらっしゃいました。

何気ない一言から合宿の宴会芸まで、いつもサークルに笑顔をもたらしてくださりました。


私もその人のお笑いが好きでした。


去年の夏合宿に、その先輩はLINEのグループにとある画像を送りました。

「この絵の金魚の顔マネをします」


そして、この絵の全キャラクターの顔マネをしました。


そののち、先輩の鉄板ネタである「家に帰りたくない柴犬の顔マネ」を、

後輩と2人でやりました。


どちらも大盛況、満点大笑いでした。


私がこの先輩のお笑いが好きだったのは、笑いを取るときに誰かを蔑んだり傷つけたりしなかったからだと思います。


「誰も傷つけない笑い」に必要なもの

それでは、どうすればこのような「誰も傷つけない笑い」を生み出せるのでしょうか。


それは「いろんな人のことを想像し、尊重すること」だと私は思います。


いろんな人のことを大切にできるようになれば、傷つく人が減り、笑わせることのできる人が増えます。

もちろん完全に傷つけないことは難しいと思いますが、人を大切にしているというのが伝わるだけでも、笑いの伝わり方は変わるでしょう。


想像がつかないなら、実際に会って話してみるというのも手だと思います。

実際私もTwitter上のご縁で色んな人に会うようになってから、色んな立場の人の考えが見えるようになったと思います。


そしてもし、自分がハラスメントや差別をしてしまったことに気づいたら、せやろがいおじさんのように過ちを受け入れて行動を改めようとする勇気も必要だと思います。


色んな人から色んな意見が出て、時に紛糾のようになるんですよ。 でもそうなったら、何も進まなくなる。お互いの攻撃が主になってしまって。 だからこそ、色んな意見をあわせて前に進むということが大事で。


そう、互いに攻撃し合うのではなく、互いの意見を合わせて、より良いものを生み出すことが大切なのです。


言うは易し行うは難しだと思いますが、せやろがいおじさんにはぜひ健闘していただきたいなと思います。

#お笑い #差別 #ハラスメント #蔑視 #せやろがいおじさん #多様性










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