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サナガラホシノヨウナヒトミ

                            立川生桃

夏休みの前日。氷河がキャラメル熔炉の中で口に溶け込みました。ヨウナさんは、お腹が痛くて保健室へ飛び込みました。時空出張で昭和からスパイで来ていた看護婦のヒトミさんが尋ねました。

「毎日、うんこは出る?」

「いつも1コロットくらい。」

 
ヨウナさんがそう答えると、ひとみさんは白衣のポケットから『単位の辞典』を取り出し、ペラペラめくったあとで言いました。

「だめよ。10コロットは出なくちゃ。つまり1ゴソット。ヨウナさん。ベッドにあおむけになりな。流れ星に祈るのよ。」
 
保健室の天井は流れ星の夜空で、あふれてこぼれるばかりのコンペイトウでした。ヨウナさんは宇宙をすくって水色と桃色のコンペイトウを捕まえました。そして口の中へ入れました。(お腹が痛くなくなるように……お腹が痛くなくなるように……)すると、お腹の痛みが消えました。
 
体育のレッスンが始まっていました。体育館は雪崩に押し潰されて、たんまりな屋根の頂上で雪合戦をしました。ハズバンドのサナガラ君が一人で苦戦していました。ヨウナさんは見学しました。相手は時空交換留学生で、飛鳥の蘇我君と明治の乃木君のチームでした。

レストランでは栄養士が給食のタイムテーブルを決めていました。たくさん食べる子供はコビトにさせます。飢えた子供はもっともっとコビトにさせます。少ししか食べられない子供はキョジンにさせます。

食べたい子供はお腹がいっぱいになります。少ししか食べられない子供も全部食べれます。ただ、全く食べられない子供では仕方ありません。一切食を受け付けない子供は、体かココロの病気の疑いがあるからです。人形国際連合のジュモーが蓮華の手錠を掛けリカちゃんの家へ連行します。
 
お昼休み。保健室から帰って来たキョジンのヨウナさんは、図書室でエッチな虹を読んで空想しようか運動場で昭和の花魁ごっこをしようか迷いました。キョジンのヨウナさんは、コビトのサナガラ君を誘って運動場へ出ました。

昨日の運動場は『ホトホト砂漠』でしたが、ところが、今日は『アッパレサンゴ』の海でした。コビトのサナガラ君と二人で立ち泳ぎしておしゃべりしたり、逆立ちで潜水して海底キャッスルを探検しました。浜辺へ帰ると、見て来たばかりの海底キャッスルを砂金で原寸大に再現しました。
 
国語のレッスンでした。ヨウナさんの苦手な文法のレクチャーでした。文に法律があるなんて。いつも寒気がしました。でも、サナガラ君は文法が得意でした。だから、ヨウナさんは背筋がゾクゾクしながらサナガラ君を尊敬しました。

音楽のレッスンでした。ステージの上で令和時代からコンサートツアーでやって来たアイドルグループが歌って踊っていました。可愛らしさを操って、猿回しみたいな笑顔でオモテナシしてくれました。ヨウナさんもサナガラ君も白い目で大笑いしました。
 
ホームルームの時間でした。担任の先生がヨウナさんに言いました。

「ヨウナさん。ヒトミ看護婦さんから聞いています。お腹の調子がいけないのですね。校門まで付き添いをつけましょう。ヨウナさん。ポニーと青い鳥、どっちがいいですか?」

「ポニー。」

ヨウナさんは答えました。すると教室はざわめきました。昭和時代の『シアワセを呼ぶ青い鳥』のほうが人気がよかったからでした。
先生は言いました。

「わかりました。ヨウナさん。じゃあ、下校する前に狂員室で酔ってください。」


ホームルームのあと、サナガラ君がワイフのヨウナさんへ聞きました。

「どうしてポニーなの? みんな青い鳥がいいって言っているよ。シアワセになれるって。」

「だって、青い鳥って小鳥でしょ。わたしをおんぶできないじゃない。それに、わたしシアワセって知らないもの。知らないものを見ることは怖いことだもの。」

ヨウナさんは狂員室の扉を開けました。ブリザードの冷気が部屋中に立ちこめていました。全身アザラシの毛皮のコートでまとった先生がヨウナさんの前にやって来ました。

その時、ゴーゴーコケコッコーッ、と流氷が溶け、海が吠え、狂員室内に轟き渡りました。先生は知らんぷりで、棉花がポッと開くように言いました。

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「はい。飼育室の鍵だよ。ポニーを連れてお行きなさい。ただ、ポニーを校門の外には出してはいけないルールです。守らなければ殺すぞ……。でも、その前に保健室へ行きましょうね。ヒトミ看護婦さんがあなたの体をもう一度毒見したいんだと。」
 
ヨウナさんは飼育室の鍵を受け取ると、先生に言いました。

「わかりました。でも、やっぱりその前にハバカリで糞張っていいですか?」

「苦しゅうない。頭を上げぃ。許可しようぞ。」

 
ヨウナさんはハバカリに行きました。天井は春雨模様でした。

「ハルサメじゃ 下から出るのも ハルサメじゃ。傘を差そう。」

ヨウナさんは保健室へ着きました。ヒトミ看護婦さんがヨウナさんに尋ねました。

「ヨウナさん。お昼も食べられなかったようだけど、お腹の調子はどう?」
 
ヨウナさんは泣く泣く答えました。

「た、たっ、たった今1ゴソット出てしまいました。」
 
ヨウナさんは飼育室からポニーを外へ出しました。

「ゆっくり参るのじゃ。アチキはお主に少しでも長くまたがっていたいのじゃ。」

運動場はマングローブのジャングルでした。

校門の外に出るまでに怖いのは、ライオンと毒蛇と、それから始祖鳥というジュラ紀の恐竜でした。ヨウナさんはポニーの背に乗り、首に腕を巻き付け頬寄せ、耳元で囁きました。

「ゆっくり参るのじゃ。アチキはお主に少しでも長くおんぶされていたいのじゃ」

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それでポニーはポクポク、ポクポク、ゆっくり歩きました。ジャングルの中へ入ると、ジャングルのあちこちから不気味な鳴き声が入り混じって聞こえます。それは鳥類の奇声とライオンの雄叫びの音痴な合唱でした。
 
ポニーはとても静かに歩いたので、足音もささやかでライオンにも始祖鳥にも見つかりません。ただ、それがキングコブラには仇となりました。ひそかに歩くポニーの足は毒蛇の絶好の的でした。

キングコブラは魚釣りの餌に喰い付き竿まで呑み込もうとするウツボのように、ポニーの足に絡みつきました。すると、竜巻みたいにするする登ってヨウナさんの左脚に噛みつきました。 

「板。」
 
ヨウナさんの脚はたちまち黒く脹れ上がりました。ヨウナさんの脚がキングコブラに乗り移られて、みるみるキングコブラに変身しました。そして、ヨウナさんの上半身はだんだんぐったりしてきました。

とっさ、ポニーは急ぎました。一瞬で全速力に達し、校門に向かって突進しました。走るポニーの足音にライオンも始祖鳥もすぐに気付きました。ライオンは、もう間に合わないと諦めてくれました。

二羽の番いの始祖鳥は違いました。急転直下、空から真っ逆さまに駆け降りて、ポニーの右目と首筋を凶器の口ばしで同時にえぐりました。それでも、ポニーの走るスピードは全く変わりませんでした。

ポニーは首を一度傾げたあと、二歩三歩と校門の外に踏み越えてしまいました。ポニーは校門の外へは出てはならないルールでした。でも、ポニーはヨウナさんのことがつくづく心配で校門の外に出てしまいました。

そこはポニーの目に初めて映る景色でした。

……はるばる広がるファインセラミックの地面。天につながる星間エレベータ。時間空港。点在する迎撃タワーと、這いつくばった核シェルタの群れ。そして日暮れのステンレスの地平線が藍色に染まっています。

(謝我有私立・夢殿小学校前) 

校門の目の前がターミナル・リニアバスステーションでした。振り向けば、鉛の校門のにも、

(謝我有私立・夢殿小学校) 

と、刻印されていました。そこへ、ヨウナさんの乗車するはずのサンセット駅行きの『夕焼リニアカー』がやって来ました。ところが、『夕焼リニア』はヨウナさんを放って停車せずに走り去ってしまいました。

(ぼくのせいじゃないよ。)

とポニーは思いました。それは不正解でした。ポニーのせいでした。ポニーは獣で、『夕焼けリニア』の運転手さんには、ポニーが背負ったヨウナさんもポニーの体の一部にしか見えなかったのでした。

(謝我有私立・夢殿小学校) 

ポニーはヨウナさんを背負ったまま翻り、校門の中へ戻りました。一面、氷の張ったスケートリンクでした。誰もいません。何もありません。深夜の地下鉄のような淋しさと肌寒さでひっそりしていました。

ポニーは、背中のヨウナさんの萎えた鼓動に、もはや時間の猶予のないことを感じ取りました。すべって転ぶなどもってのほかです。ポニーは氷にひづめを引っ掛け、慎重にしかし結構急いで進みました。

やっと校舎へ着くと、脇目も振らず保健室へ駆けました。 

ポニーは、保健室の戸締りの鍵を掛けていた看護婦のヒトミさんに出会いました。ひとみさんは二人を保健室に入れ、気を失ったままのヨウナさんとポニーの傷を診ました。

ポニーへ告げました。

「わたしの手に負える代物ではありません。屋上に上がりな。手配をしておくから。」

ポニーがヨウナさんを再び背負って行こうとすると、

「待って。手に負えないのはヨウナさんだけではありません。あなたもよ。」
 
ひとみさんの言葉に、ポニーの左目からは涙があふれ、右目からは血があふれました。
 
ポニーは階段を風のように駆け上がります。

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2階の踊り場では温泉が湧いていました。3階の踊り場には雲の絨毯が敷き詰められていました。4階の踊り場は炭鉱の牢屋でした。5階の踊り場ではジャンヌ・ダルクが国旗を振っていました。
 
そして屋上の扉を口にくわえて開けました。そこは向日葵畑でした。清々しい朝の光に包まれた向日葵畑でした。

ところが。

「バラビラブラベラボラ……コブラ コブラ。」

上空から不器用でヘンテコな轟音が響き渡って来ました。令和時代の旧式ドクター・ヘリでした。プロペラの回旋音を激しく立てながら下りて来ました。

着陸すると、一人のドクターがヘリから飛び下りてヨウナさんとポニーを診ました。

「まずい。これは二人とも瀕死の重体だ。」
 
ドクターはヨウナさんとポニーをヘリに運び込み、すぐさま飛び立つよう操縦席のタイゲン少佐へ頼みました。ヘリは再び宙へ浮き上がりました。ヘリはどんどん上昇しました。医師はそれでも少佐に叫びました。

「もっとだ。もっと高くもっと高く。もっともっと上に。巨大な流星群を見つけるのだ。」
 
少佐はそう言いました。

「だいじょうぶです。ずんずんずんずんと上昇しております。……しかし……ただ。実はわたくし、それどころではありませぬ。」


「どうしたのだね?」
 
ドクターが尋ねました。

「先程からうんこに行きたくて、もう我慢なりません。もれそうです。」

「どのくらいだね?」

ドクターが尋ねました。

「へ?」

「どれほどの量のうんこが出そうだね?」

医師は少佐にその想定量を尋ねたのでした。

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「4ゴソット。いえ、5ゴソットは排出されるかと。個人的には宇宙へ飛ぶより、早くトイレに着席したいものです。」

医師は答えました。

「確かに。少佐。だが、巨大なコンペイトウを食えば解決するのだ。だから、われわれは早くコンペイトウを見つけるのだよ。」

ドクター・ヘリは宇宙の彼方へ消えました。

朝焼けの夏休みを終えジンチョウゲの二学期が始まりました。ヨウナさんは真っ先に飼育室のポニーへ会いに行きました。でも。ポニーがいません。ヨウナさんは一生飼育係の時空交換留学生に聞きました。

「ポニーは?」

「君のポニーは片目のあいつだね?」

乃木君が聞き返しました。

「ええ。」

ヨウナさんはうなずきました。

「あいつはここにはおりませぬ。」


乃木君は答えました。

「な。なぜにじゃっ?」

ヨウナさんは訴えました。けおされた乃木君に代わって蘇我君が答えました。

「あいつは流れ星に自分のことを願わなかった。あいつはヨウナさんのことを願った。だから、あいつは今もうここにはいない。」

「じゃあ、どこにいるの? 白状しなさい。」

ヨウナさんは二人を脅迫するみたいに聞きました。

「屋上へ行ったら死ぬぞ。霊安室のドアを開ければ先ず腹の子供が死ぬぞ。あの世の窓を覗けば、おぬしが死ぬぞ。」

駆け上がります。でも。ただ駆けるのでは楽しくないので、スキップランラン駆け上がりました。2階は大晦日の除夜の鐘でした。3階は算盤橋の桜祭り。

踊り場でけつまずきました。

鏡の床にシャガールが泣いていました。4階は虹の裸体の打ち上げ花火。5階はお彼岸の墓前の線香の狼煙でした。

そして、屋上の扉を開けました。

ピンクの砂漠を青白い月光が照らし出していました。墓神の守人がレーキでピンクの砂を均しています。

「ポニーはいずこじゃ?」

「この下だよ。面会かい?」

「そうでござる。」

「掘るならタダだが、見せてやるならヨウナの命が値段だ。どうする?」

「どれだけ掘ればいいの?」

「6億センチ。6百万メートル。スコップは無料貸し出しだ。」

「仕方ない。命で見せてもらおう。」

そこで、墓神の守人はレイキでその場の砂を掃きました。ゴルフのグリーンのカップほど。穴を塞いだ金のパットが見えました。

「星の墓」

まだ見ぬ時代のコピー用紙が貼られていました。

守人はその場にしゃがみ、パットを外しました。

「見ろ。」

ヨウナさんはうつぶせになってそのハップル顕微鏡を覗き込みます。

「ポニー。

地の底のマグマが見えました。煮えたぎったトマトスープ。おいしそうですが、被せられた硬質ガラスの上に、あの世のポニーが地下で踊っていました。ポニーはスキップランラン・ラン。ヨウナさんは少しだけ妬みました。

「顔が見えぬわ。もっと上を向け。おまえのためにわたしは死んじゃうのだ。顔くらい見せな。」

ヨウナさんの後ろに墓神の守人が立ちました。

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                               (了)



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