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noteで9月入学のすべてが分かるシリーズ(その後の追跡篇) 教育再生実行会議の開始・マスメディアの報道・文科省情報 「9月入学論議の進め方・再論」


 6月上旬の自民党ワーキングチーム提言書の提出により、始めコロナ状況下の学習機会の遅れを取り戻す方策として4月から提起され、様々な動きと大きなマスコミ露出のあった9月入学論議は、大団円の消滅を迎えました。
7月20日の教育再生実行会議の開催に関する報道までは断片的な残り火の感がありましたが、それ以降はくすぶりに過ぎません。
くすぶりの中にも今後の論議を照らすものがないか、9月上旬時点での展開追跡を行います。

教育再生実行会議の開始

 「ポストコロナ期における新たな学び」検討の第1回(通しでは第46回)会合が7月20日に、第2回が8月25日に開催されました。2021年5月に首相への提言を出すようです。
第1回は新規有識者委員の顔見世の意味もあり、9月入学に関しては数人の有識者がごく簡単に意見を述べただけです。第2回は議事録がまだ公表されていないので不明です。

 どのような方法によるどのような内容の議論をして、どのような結論を導くのか(あるいは両論併記か)、そして提言が首相・政府・与党をどの程度拘束するのか、凝視していきます。その凝視の視点は、後段の「9月入学論議の進め方・再論」をご覧ください。
(「教育再生実行会議」でインターネット検索をすれば、有識者のプロフィール、議事録・資料などを確認できます。)


マスメディアの報道

 6月中旬以降、テレビでは9月入学関連の報道はほぼ見かけません。地道に追いかけている局もあるかもしれませんが、出会うことができません。

 新聞では、7月20日の教育再生実行会議の開催に関する報道までは、一定の露出がありました。コロナ報道に次ぐような5月の記事量とは比べものになりませんが、今回は頓挫したとしても、しかるべき教育案件のその後を追跡する、との意思はあったようです。
しかし7月下旬以降は、精一杯張っている私のアンテナに、全国紙の記事は微かに触れる程度です。その中で、8月4日の日経電子版と8月20日の朝日社説を紹介します。

 日経記事は、文科省が8月4日までに明らかにした「9月入学移行に要する費用」の試算を、分かりやすく説明しています。小中高の教員の増員、教室の新築・改修、大学の収入減と主要な項目をまとめて、「教育再生実行会議は・・・こうした試算などを踏まえて9月入学を導入するかどうか本格的な議論を始める」と締めくくっています。移行費用の数量的データは、移行に関する社会的コストを算定するうえで最重要のもので、適切な指摘ではあります。ただ、「本格的な議論」とはどのようなもので、教育再生実行会議がそれに適うのかは別問題です。
(上記試算を含む文科省の資料情報については、次の項目をご参照)

 朝日社説は、この時期に、9月入学の的確な理解に基づき、議論を社説という形で提起した点で、マスメディアの責務を果たしていると評価できます。
その提案の核心的部分は、「大学に絞って、春と秋の2度の入学制へと、徐々に秋入学を増やす」ことです。それを教育再生実行会議に対し「まずは」議論することを提案していますが、9月入学のごく一部を検討し、その後で全学校種、春・秋いずれかの入学制を検討することは、議論の進め方として成立しません。
しかし、今回を含む30数年間に及ぶ秋入学提起の議論を総見すると、この提案が現実的で、合理的な解決策である、とする立場は非常に説得力があります。
私は、「公明正大な場での本格的論議により決着を」つけるべきとする立場ですが、朝日社説の提起に触発され、後段の「9月入学論議の進め方・再論」を提示したいと思います。


文科省情報

 文科省HP→「秋季入学に関する検討について」でインターネット検索をすると、「文部科学省において、関係省庁の協力を得て課題の整理を行いました」として、6資料と2参考資料にアクセスできます。

 今一度「9月入学への移行をすべきか否か」の検討手順を振り返ると、
(1)現行4月入学制と9月入学制の利点を比較する
(2)9月入学へ移行する場合の課題を検討し、社会的コストを計算する
(3)9月入学制の有利さが、社会的コストを超えているかを判断する
が中心となります。

 上記資料には、(1)と(2)を検討するための情報が、網羅的・体系的にかつ精細に、整って提示されています。それをどのような方法によりさらに検討すべきかは示されていませんが、30数年にわたる秋入学論議の結果と今回特に進展した数量的データの明確化を踏まえて作成され、9月入学移行論議にとり欠かせない基本資料となっています。

 6点の資料の中から「秋季入学に関する課題への対応策と必要な考慮点等について」により、移行の社会的コストの中心に位置する「移行費用」に関してまとめてみます。(新小1に、4月~3月生まれとその後の4月~8月生まれの17ヵ月間の生徒を対象とする、標準的な方式で。4月~8月生まれの約40万人の生徒数の増加)
(1)小中高の公立学校教職員の増員と人件費増
   移行初年度の新小1が12年後に高校を卒業するまでに必要な増員は、
   のべ22.35万人。人件費増は1兆5387億円。

(2)公立小中高教室の新築・改修(クラス増に対応)
   37,250教室。 3,766億円。

(3)教育期間の延長に伴う生徒・保護者の追加的な教育費用の負担
   在校生は移行年度の前学年を5ヵ月間延長することになり、
   その期間の教育費用が追加負担になる。
   影響する学習費総額は2兆4,939億円。
   学校外活動費(学習塾費用等)を除くと1兆2,173億円。

(4)大学の収入減
   これまでの4月入学の学生と新たな9月入学の学生が4年間混在する。
   毎年1学年の4~8月分の授業料収入が得られなくなる。
   4年間の減収分は1兆518億円(私立9,326億円、国公立1,192億円)。

 文科省資料は優れたもので本格的に研究しようとする者にとっては、宝の山ですが、その網羅性・精細さがかえって理解を妨げる面もあります。
重要な点を、知識と考え方両面において理解するには、私の「noteで9月入学のすべてが分かるシリーズ」(有料マガジン・500円)が、日本で一番です。そこでは、9月入学が日本社会にもたらす好影響の可能性も検討され、また今後の論議の在り方に関して正当なる矢を放っています。

9月入学論議の進め方・再論

 社会の様々の分野で問題が生起した場合、その解決の方法として複数人による議論が行われる。強力な王権下でさえ、幹部臣下との(非対称的ではあるが)協議が一般的だ。
日本の入学時期制度は、学制発布以来、各時代の実情・要請を反映して変遷してきたが、1921年(大正10年)に全部の学校が4月入学制となった。どんな制度も、時の流れの中で正当性を問われるが、4月入学制は主に、海外との交流拡大が学校(特に大学)に及んで、意図的な国際化が必要と意識されることにより、秋入学への移行という提起に直面した。
1987年の中曽根臨教審・最終答申に始まり、1998年大学審議会の答申、2007年第一次安倍政権・教育再生会議の第二次報告、2012年東大の秋季入学提起、2020年コロナ対応を発端とする9月入学提起と続き、巨大量ともいえる議論がなされたこともあるが、結論なき決着により現行4月入学制が維持されている。

 今後何度も検討されるほどの教育案件とは見えない。今回の提起に伴い、広範な層に4月・9月入学制の内容が(ある程度以上)理解され、また判断の根拠となる数量的データも十分に近く提示された。今こそ、「拙速を避け」といった言葉として当たり前の、できぞこないのレトリックを避け、結論を有する論議により決着をつけるべき時である。
その論議は、この案件が賛成派と反対・消極派とに明確に分かれていることから、公明正大な会議体と委員構成で行い、議論の方法と内容は、ディベートにおけるような徹底した相互批評を中心とし、かつ数量的論証に満ちたものとしたい。
また「意見集約に至らず」の結論の場合は、決着をつけるために政治的や世論的多数派に委ねることも必要となろう。

 このような「公明正大な場での本格的論議により決着を」求めるのは、議論の本来的な在り様であることに加えて、政府・自民党の多数派(および非与党政治家の過半数も)が9月入学の賛成派(どうしても「秋季入学」と呼ばないと気が済まない者も相当数いる)であり、政治家の行動基準は自己の考えの方向に合っているかどうか、になるからである。
しかし政府の教育再生実行会議が議論の中心となってしまった。


 以上は問題解決のための、理想的な議論の方向を提起した。しかし、これまで多くの議論の蓄積があり、相当の数量的データも揃ってきているこの案件には、現実的な議論の方向も有力と考えられる。これは、朝日社説(2020/8/20)に触発されてのものである
その方向は「大学に限定して、春と秋の2度の入学制」とすることを良しとする前提の元、その具体的な実現のための議論を進めるものである。

 「大学限定、一年に春・秋2度の入学時期」を良しとする根拠は何か。
まず、9月入学に移行のコストを凌駕する導入利点がないことが、今の時点で既に明白になったと判断され得ることである。

(1)何度も秋入学への移行が提起され、その利点が提示され多くの議論がなされたが、「4月入学ではダメで、9月入学でないとどうしても解決できない課題はなかった、提示できなかった」。これからも提示できないだろう。始めの初めの中曽根臨教審の入学時期委員会で、文部省担当官が「どうしても9月にしなければというメリットは見出すことができない」とした、その時点での概観と直感が正しかったのである。

(2)絶対不可欠でないとしても、コストを超える圧倒的利点はないか。
①9月入学には、海外との人的交流を中心とする「国際化に寄与する」点は明確にある。しかしほぼ大学のみで、しかも4月入学でも4ターム制の導入など、現状の不都合に対処する方策はある。
いまひとつ言われる「教育・社会改革の好機になり得る」としても(事実、人間は何かのキッカケで尻を叩くと動きやすい傾向はある)、4月入学でも改革しなければならないのは同じであるとの原則論を否定しようがない。

②全学校種の9月入学への移行には、教員等人的資源・施設・支出の大幅増が必須であることが、今回の数量的試算で明確になり、法的・学校制度上の手続きが膨大であることは論を待たない。
多くの方式では、移行対象年度の新小1生徒は増加し、進学・就職の激化(これに対する生徒・保護者の反発がどれほど大きくなるか想像できない)が生じる。

③9月入学の利点が、移行の社会的コストを充分に上回っていると判定できない。それどころか下回っていると判定されても不可解ではない。

 すると次には、9月入学の利点が大きい学校種の大学に限定して、国際化のための不都合を解消しうる9月入学を4月入学に追加して併存させる、方式が抽出される。一見して、9月入学への移行に想定されるような、社会的コストは不要である、非常に少ない。

 ここまで了解して進んでくれば、「大学限定、一年に春・秋2度の入学時期」を現実的な方策として、その実現のための議論が必要とされる。
さしあたり主要な検討点は、次のとおりのようである。
(1)4月入学・9月入学を希望する生徒の、分かれ方の想定と問題の対処。国内高校の卒業生徒は4月入学、外国高校卒業の生徒は9月入学が主流と、一応想定されるが、各大学でそれぞれの入学定員をどう設定するか、その一般的方法論が必要である。

(2)現在でも既に、254大学(日本の大学の約34%)が学部段階で4月以外に入学者を受け入れているが、それで入学した者は2,794人(約0.4%)に過ぎない(文科省「大学における教育内容等の改革状況について」平成29年度)。この入学者数を増やす方策が必要である。

(3)春・秋2回の本格的入試業務の実施と二種の入学者の年度を通した事務対応は、人員・予算の面で大学の重荷となる。年2回の入学制を、希望し秋入学を拡充しようとする大学への支援が必須である。

(4)9月入学者で4年後の6・7月に卒業する学生の、就職機会をどう拡大するか。


  理想としては、今一度最終的に、一からの本格的な議論を経て入学制をどちらかに確定したい。
しかし、これまでの経験に基づいて「大学限定、春秋入学の併存」を良しとして、その実現策を議論するのも、現実的で無理のない方向である。

 いずれにしても、政治的思惑を排した、公明正大な徹底論証による、教育案件の決定、の典型例となることを期待したい。 
  






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