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例え明日の話が出来なくても

 彼氏が東京へ帰った次の日、CRYAMYのライブを見に行く。

 正しさって何だろうか、生きる上での正解がまだ分からないから考える。考えて、LIVEを上手く聴けないままLIVEが終わってしまう。CRYAMYのライブはいつもこんな感じで、自分のことと擦り合わせて色々を思い出しているうちに時間が過ぎていく。

 今日のライブは去年出たアルバムの曲だけをやっていて、ほぼ同じセトリを恵比寿のLIQUIDで観た。
私はアルバムの中だと「街月」が1番好きで、何ならこの曲を観るためにライブに来たようなものだったのだけれど、曲の最中でボーカルのカワノが祈るような仕草をしていたのが印象的だった。

 CRYAMYは世界を憎んでいて、愛していて、そのふたつは対立せずに心の中で共存してしまう。



貴方には好きだけど嫌いな人はいませんか。  

 
私にはそんな人が沢山います。

 父親、母親、精神的に不安定な父親を介護してくれているがそれに関して遠方で暮らしている私までちょくちょく圧をかけてくる叔母、浮気してセフレを作った挙げ句彼女を捨ててセフレと付き合った憧れていた先輩。高校生の私のファーストキス奪ったの知ってた癖に音信不通になった正体不詳の男の子。

 みんな私の精神や、酷い時には身体にまで傷つけて、私は部屋のベッドで溶けるほど泣いたけれども、それでも私は彼らが居ない人生のことは考えられないし、彼らが私の目の前で死んでしまったとしたら、多分神様が目の前で死んでしまうよりも煩く泣くと思う。


 きっと私も友達や、両親や、親族や、その他のよく分からない人達から恨まれたり、死んでしまえばいいと思われたりしているのだと思う。

 私がいくら善い人でありたいと思っていても、私は人並み以上に社会生活が苦手で、対人関係が苦手で、だから必死に生活をしているだけでも嫌われたり、恨まれたりするだろう。

 
 
 上手に生きることは難しい。誰かと足並みを揃えて、なんてまず誰を手本にすればいいか分からないし、左右を見て動こうものなら視線を切りかえている間に足並みがずれて疎まれ続けることが目に見えている。


 私は正しく生きたい。間違ったことはなるべくしたくないし、優しくないことは見たくない。対立に巻き込まれたらずっと中立のまま動かないでいたい。


 正しくありなさい。と昔から言われていた気がする。けれど正しくあることは生活の中で、世界の中で必ずしもプラスに働くことはなくて、正しく居続けようとすると必ず疎まれ、孤立してしまう。

 正しさを振りかざして粛清されるのはミサイルを飛ばす遠い国の物語ではなく、校舎のなかで、職場のなかで、マンションの一室のなかで毎日行われている日常なのだと思う。


 
正しくありたいと思っているのに生活が上手くいかない貴方へ。世界は優しくないと思っていませんか。貴方の周りを恨んではいませんか。私はそんな貴方を正しいと思います。

 けれど貴方の正しさは貴方をこの先ずっと傷つけてしまうのでは無いかと思います。貴方が貴方の正しさに傷つけられてぼろぼろになってしまうことが、私は少し心配です。

私はこの世界で正しくあることが本当の正解なのかという問いに答えを出すことはできません。私もその問題で悩み続けているから。

けれど貴方が世界のなかで正しさに傷つけられているとしたら、正しさから、もしくは世界から逃げてしまってもいいと思います。私は不完全な正しさしか持ち合わせていないから、世界の中の顔の知らない人よりもこれを読んでくれている人が大切です。





世界のなかに取り残されて明日へ足踏みしている貴方へ。正しさは悪。(かもしれない)貴方は世界のなかでどうか息が出来ますように。



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