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セカイ系と女子高生が関係性を構築する軌跡について

Twitterとアニメとセカイを愛する皆さん、元気にされていますでしょうか。Twitterとアニメと世界が大好きな夏凪と申します。

先日、セカイ系の最大ジャンルのひとつである終末について語る終末同好会を作りましたが、セカイ系や終末思想に染まった中高生は今日割とレアリティを失って居るようにも感じます。そこで今セカイ系に染まっている女子高生の軌跡を載せていこうと思います。

Twitterとセカイ系とマイナーサークル

北出さんのferne発行についても、セカイ系というジャンルが具体性を持ち始めたように感じる。
「感傷マゾ」においても「青春ヘラ」においてもインターネットカルチャーで出てきた感情やジャンルに名前が付けられている。セカイ系はこれらに比べて成熟したのは早く、名前は前からあったように思うけれどそれはアニメとラノベ限定のような感じしてたな。ゼロ年代研究会とか感傷マゾ研究会とかのサークルが出てきて高校生とかも巻き込まれて界隈が大きくなってる感じはする。
 
私の中ではセカイ系のアニメといえば電波女と青春男とエヴァでした。近所のGEOにあったからです。私の中の文化はそれとTwitterでしか得られてない。
嘘。もうひとつあって本屋のラノベコーナー。私はライトノベルを全くと言っていいほど読まないんだが、「終末なにしてますか、救ってもらってもいいですか」という本のタイトルが気になってた、今言うとそれは私の中の終末とかセカイとかの始まりだったような気もする。

セカイ系思想と中二病

セカイ系思想の根底には中二病があると思っていて、いわゆる教室に入ってきた殺人犯を倒す妄想みたいなものを肥大化させたエンタメだと思ってるんだけれど、私が中学2年生の頃は西暦2018年くらいだった。まあ私が中二病を患ったのは小学校5年生とかだったんで2015~の作品に多く影響されているのかなぁと思う。

私の家庭では何故かゲームが目の敵にされていて、代わりにWALKMANを与えられていた。土日に父が行くTSUTAYAに同行するとCDを1枚借りさせて貰えて、そこで色んな音楽を聴いた。私がいってたとこは結構ボカロ揃えてて、きくおミクのアルバムが全部あったり、ボカロベストみたいなのが10枚超でズラーっとあったりした。そこで特集されてたのがまふまふさんで、たまたまCDを借りて聞いてみた。
まあ、そこで案の定ハマって、YouTubeとかニコニコとかを見れるようにもなったからその辺の音楽を検索していたんだけどそのときに見たのがサムネのこれ

聞いたことない人は一旦聴いてみてほしい。

ねぇ誰も望んじゃいなくたって ぼくらおとなになるんだよ

この辺にまあ影響を受けてしまうわけだ。
中二病とセカイ系の親和性はこの辺にあって、大人になりたくないとか、みんな消えて欲しいとかそういうのを願ってしまう場合世界が変わってくれることを祈るしかないんだけど、それがめちゃくちゃ綺麗にパッケージされてコンテンツ化されてたらもうそれに縋るしかないと思う。ダサいけど。

2015年代だとまふまふ、Neru、n-buna、トーマ、KEMU BOXXなどの主要セカイ系ボカロPは出尽くしていて、それをメドレーとかで流し聞きして新しい曲に触れたりする環境は出来ていたのだと思う。

この辺を聴き始めて中二病が悪化し、世界は僕らだけのものみたいになり、現実にそんなやつはいるわけがなく学校で浮いて取り残されてTwitterに閉じこもるわけだ。
#病み垢さんと繋がりたい のように。

最近は横着してNico Boxとかいうのでボカロを摂取している。

三秋縋、新海誠と架空の「僕」

もうひとつセカイ系にハマった原因がこれだ。
三秋縋の三日間の幸福を読んだこと。世界は君だけのものみたいな価値観を直球で受けた体験だった。

青空 積乱雲 一組の男女 顔があまり見えない

しかも中身が見えない女の子と死にかけている男の子。 そして世界に2人だけ、とかいう展開。
私はこれに耐性がないままぶち当たった。これを読む前に村上春樹とか、乙一とかを少しづつ読んでいたらもしかしたらここまでハマることもなかったのかもしれない。

もちろん私の中ではクスノキもミヤギもこの世界のどこかにいて、2人で缶コーラとか飲んでいると思って居るのだが。詳しくはこっちを読んで欲しい。

この頃私は米津玄師にもハマっていて、雨の街路に夜行蟲の「誰も知らない約束を交わしあって僕ら歩いてくんだ」とか、「なんでもないよな秘密作って2人は共犯者になって」とかってのを聴いて過ごしてた。

三秋縋に殺された、まではいかないけどまあまあな呪い程度にはやられて、世の中に運命の男の子居ないかなぁとか、出会うためにどうすればいいかなぁみたいなことばかり考える人間になったわけだ。
どこかで三秋縋が言っていたような気がする、「二人だけの世界を描くにはそれ以外を塗りつぶすのが手っ取り早い」みたいなのをどこかで感じていたんだろうな。

そしてその次にはい、これです。
この辺の年代で10代生きてたやつ、レベルの高い洗脳を受けてるとしか思えないな、、、。
めちゃくちゃ綺麗だなっていうのが初回の感想でした。世界の終わりが美しいものだって刷り込みを完成させたのはこれかもしれないな。

そしてこれもまたボーイ・ミーツ・ガール。
セカイと女子中学生の純粋な恋への憧れの親和性は思いのほか高かったようだった。

まとめ

セカイ系が昨今世間に馴染んでいるのはポピュラー作品への進出と過去作品へのアクセスの高い現代であるからこそ起きたことのように思える。また、バトルものでなく中二病感あふれるジャンルというので中二病を患う非戦闘系(主に女子)に受け入れられているジャンルのようにも思える。
セカイ系とインターネットとこれまでの私の成仏と運命の男の子の登場を願って。

サポート宜しければお願いします、おそらく本を購入します