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2022.1.7 攻撃と空について

学校があった。全然身にならなかったけど隣の野球部の子が今日もすやすや眠っていたからま、いいかという感情になった。

誰かに優しくされるということに憧れすぎている。悲しいことばっかりなんだからせめてさ。

これは誰か構ってください、悲しそうだったら話しかけてくださいってことの夏凪言葉です。

誰かを抱きしめるポーズで全人類が固まってしまえばいいのにと思っている。相手が不在で抱きしめるポーズをしている人の腕の中に毎日毎日私は丁寧にはまりに行く。だきしめてください、そのままでいいので、学校帰りに自転車に乗って、息切れを起こしたままでもいいし、電車で寝てしまって、寝癖がしっかり着いたままでいいので、誰かにいじめられて、踏まれて汚れてしまった制服のままでいいので。

今日は睡眠時間が足りなかったからか、朝からちゃんと不安定だった。

朝は雪道を歩きながらずっとdaokoのfogとか、きのこ帝国の国道スロープとかを聴いていた。初期のきのこ帝国、ちょっぴり椎名もたにも似ている気がする。

fogって曲はめちゃくちゃ好きな曲で、これは小松菜奈の映画の挿入曲なんだけど、もうめちゃくちゃ静かでいい曲。

「こころのこの辺りがぐじゅぐじゅするの」「このままずっと一緒がいいな このままいっそ溶けてしまおう」

もう私はずっとひとりだからこの感情をよく知っていて、心のぐじゅぐじゅする場所は意外と胃の近くで、でも息がしずらくなることとか、一緒にいるために相手を拘束する手段を無意識に妄想してしまうこととか、全部分かる。

心がぐじゅぐじゅした時に限って友達や好きな人にあえなくて、でも一歩歩く度にぐじゅぐじゅは悪化して、もっとたくさん心が使われるから取り敢えず部屋にこもって広がらなくなるようにする。

心のぐじゅぐじゅを制御出来るくらい脳みそが優秀だったらいいのに、と思う。私の脳みそは全然優秀じゃなくて、いつもぐじゅぐじゅに負けている。理知的になりたい、とよく思うけれども私がなるべきなのはまず理性的な人間なんじゃないかな、とかんじる。

ぐじゅぐじゅな愛なんてなくて、愛が攻撃性を持つことは多分なくて、持つとしたら多分それは愛ではなくて恋なんだと思う。だとしたら私は人を愛したことが無いかもしれない。愛してるよ、と言葉にすることは沢山あるけれどそれが本当に愛なのかどうかは分からないから誰かにこれはあい、これはこい、これは利己感情って隣で判別してほしい。

晴れた日のピリッとした寒さが苦手で、あの寒さってなんか痛くてそれでちょっと落ち込んでしまう。何もしてなくても傷つけられた気になる。近くに寄れるストーブが好きでそんな日はストーブの近くにずっといるからふくらはぎに赤い模様がついてる。

所謂メンヘラ曲のターゲットが最近ポップになってきてちょっぴり嬉しい。自分の感情をメンヘラで片付けられない安心感がある。もともとメンヘラ曲を作って教室にいない中学生を相手にしてたボカロPがお金を貰って地下アイドルだったり、TikTokerだったりとコラボしだして、苦しみが大衆化されてる気がする。うそ。ごめんなさい。苦しみに大衆とかはないと思うし、どこまでも個人のものだと思う。これは藤原基央からもらった言葉。

でも自分の苦しみが周りの苦しみのちょうどど真ん中にいるのはなんか嫌だよねって話です。私は嫌。
ねぇ、君もそうでしょ。君の苦しみは私だけが知ってるからね、って言ってくれる人を探してる君の事、言ってるんだよ。

Twitterで自分がブロックされているのを見るとかなり落ち込む。自分のことをほとんどの人が嫌いでフォロワーにもキモイって思われてるんじゃないかなって感覚になる。あと、リプとか引用RTとかが来ると本当にどうしたらいいかわからなくなる。返信が下手くそでごめんなさい。

そういえば今日も人にごめんって言ったらいいよ謝んなくてって流されたんだけどそれだけでも自分が謝って適当に済ませようとしている人間だ、と暴かれたような気がして不安になる。

部活にも顔をあんまり出せてなくて、次やりたいことも見当たらなくてそれがただ不安だ。でもやっぱり夏の絵を描きたい。夏の絵、何回も描いてるけどいつも納得はいってるけど満足してないみたいになる。どうしてもなにかの要素が抜けてしまうから、夏の絵を描いている人はすごいと思う。

部屋の床に本がたくさん転がっているんだけれど、片づけたくなくてそのままにしている。布団から起きないで本を取れる状況が安心する。棺に沢山本を入れて欲しい。というか本棚で囲って燃やすくらいしてほしい。

サポート宜しければお願いします、おそらく本を購入します