「東京芸術祭ワールドコンペティション2019」参加作品のご紹介

今回は「東京芸術祭ワールドコンペティション2019」に参加するアーティストと作品をご紹介いたします。

“東京芸術祭ワールドコンペティションに参加するアーティストたちは、いわば「2030年代のトップアーティスト」です。アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカと世界各地域の重要なフェスティバルでプログラムを組んできた方々に、「まだ世界的には知られていないが、2030年代に重要になるであろうアーティスト/団体」を推薦していただきました。私も日本の団体を推薦させていただきましたが、それ以外は全てのアーティストが日本初紹介です。

というわけで、日本ではほぼ誰も知らないアーティストが並んでいるわけですが、推薦人の方々もメンツをかけて推薦してくださったようで、「世界的に」とはいわないまでも、けっこうすでに各地で活躍しているアーティストがほとんどでした。

ふつうのフェスティバルは主に「今いるお客さん」のことを考えてやっているわけですが、このコンペティションに集まったのは「10年後のお客さん」を考えて選ばれた作品ばかりなので、けっこう「得体の知れないもの」だと思います。なので、肝だめしではないですが、ぜひ「得体の知れないものをどこまで面白がれるか」を試しにいらしていただければと存じます。こんな機会でもなければ、なかなか観られない作品ばかりです。

まずは【アジア】の戴陳連 (ダイ・チェンリエン)『紫気東来−ビッグ・ナッシング』から。紹興酒で有名な中国・紹興市出身で、ヴィジュアル・アーティストとしても活躍しています。その紹興市で祖母と過ごした日々の想い出が、この作品の重要な要素になっています。言葉のない影絵芝居で、腕に口が生えてきたり、ナンセンスでユーモラスで、だけどちょっと不気味な場面がつづきます。『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という唐の時代の怪談話がもとになっているようです。子どもの頃におじいちゃんおばあちゃんの家に行った時、なんだか怖い気持ちになったことがあるでしょうか。大人になると忘れてしまうそんな感覚のむこうに、何もかもが「情報」として処理されてしまう今の社会のなかで見失われてしまった世界が見えてくるかもしれません。

【オセアニア】シドニー・チェンバー・オペラの『ハウリング・ガールズ』は言葉のないオペラです。今回の作品のなかでも「得体の知れなさ」では随一かもしれません。直訳したら「うなる少女たち」。その名のとおり、若い女性のコーラスが奇妙なうなり声で歌い(?)ます。伴奏は旧ソ連で開発された電子楽器テルミン。9.11後の奇妙なエピソードや、かつて女性の病気とされた「ヒステリー」をめぐる物語をもとに、女性が受けてきたトラウマの歴史をダイレクトに体に感じさせてくれるのですが、それがやがてふしぎな解放感にもつながっていきます。女性をめぐる物語に取り組んできた演出家アディナ・ジェイコブズと、オペラの新たなあり方を追求し、新たな観客を生み出してきたシドニー・チェンバー・オペラによる作品です。

バルセロナを拠点とするエル・コンデ・デ・トレフィエルはすでに【ヨーロッパ】では話題騒然のカンパニーです。説明を読むとなんだか小難しいことが書いてあるのですが、実際に観てみると、けっこう脱力系だったりします。でも舞台のうえで行われている間の抜けたパフォーマンスとスクリーンに投影されている断片的な物語とを合わせて見ていくと、だんだん深い絶望が伝わってきたりします。この『可能性は風景の前で姿を消す』ではヨーロッパの10都市をめぐりながら、日々起きているような小さな物語が語られていくのですが、「エンターテイメントの全体主義」のなかで私たちが見失いつつある様々な「可能性」が、少しずつ見えてくるでしょう。

【アフリカ】はシャルル・ノムウェンデ・ティアンドルベオゴによる一人芝居『たびたび罪を犯しました』。一度フランスで演劇作品に出ているのを観ましたが、強烈な存在感をもつパフォーマーです。ヨーロッパでフィジカルシアターと仮面劇を学び、アフリカで仮面を使う憑依儀礼など地域に根ざしたパフォーマンスを研究して、独自の仮面劇・フィジカルシアターのあり方を提示しています。ここで彼に取り憑くのは精霊ではなく、現代のアフリカを蝕んできた権力者たちの霊です。丹念に造形された動物の仮面とシンプルな言葉、そして体一つで、次々に異なる身体性を見せてくれるパフォーマンスが圧巻です。ティアンドルベオゴは今、よりアフリカに根づいた活動をするためにブルキナファソの首都ワガドゥグに戻り、自らの拠点をつくろうとしています。

【アメリカ】はサンティアゴ(チリ)のボノボ。『汝、愛せよ』は医師たちの地球外生命体(?)への差別問題をテーマにしていて、強烈なブラックユーモアと次々に明らかになる意外な真実に目が離せない、スリリングな会話劇です。この劇団は俳優だけでなく技術スタッフも含めた集団リサーチ・集団創作で作品を作っていて、自分たち自身の日常にある「他者」への意識を深く見つめた作品になっています。劇団名は類人猿ボノボを専門とするチリの動物学者の研究に触発されてつけたとのことで、人間をちょっと外側から見つめなおすような視点があります。まだ設立以来3作品しか発表していませんが、すでに南米やヨーロッパで話題の劇団です。今回はスペイン語圏のカンパニーが6作品中2つ選ばれ、スペイン語圏で起きているダイナミズムを感じさせてくれます。

最後に【日本】ですが、どなたがよいか、何がよいか、そもそも自分が選ぶのがよいものか等々、相当悩んだ末、最終的に大阪の劇団dracom(ドラカン)に『ソコナイ図』での参加をお願いしました。大阪で実際に起きた、大きな資産を相続した姉妹の餓死事件を扱っています。他にもすぐれた作品はたくさんありましたが、これは世界的にみても驚異的な作品だということは間違いないと思います。これだけ「弱さ」に徹底的に寄りそった舞台作品というのは観たことがありませんでした。よく「表現の強さ」ということが言われますが、この作品は徹底的に「弱さ」にこだわっています。今の世界のなかでの舞台芸術の役割を考えると、これがこれから重要になっていく気がしていて、それになかなか他の地域では見る機会のないものではないかとも思うのです。

最後だけ、紹介というよりも推薦理由になってしまいましたが、他の推薦人による推薦理由はこちらでお読みいただくことができます。

ちなみに、このコンペティションでは、「代表」という言葉は使わないことにしました。オリンピックなどでは、日本代表、韓国代表、フランス代表など、個人やチームが国の代表として争うという形式になっています。それは、その個人やチームが一番強かったり、一番早かったり、一番遠くまで飛べたりするからです。でも舞台芸術では、基準が一つではありません。ここで選ばれた個人やチームは、その国や地域の舞台芸術会を代表するものでは全くありません。

そして私たちが求めているのも、国や地域を代表するようなアーティストではありません。むしろ、新たな基準を作り、これまで自分が信じていた基準を疑わせるような、誰にも真似のできないような独自の表現をしているアーティストです。

私は、今日における舞台芸術の役割は、むしろマスメディアでは表現できないことを表現することだと思っています。それは「一番強い」声ではありません。むしろ一番低かったり、遅かったり、弱かったりする声かもしれません。今日の舞台芸術から聞こえてくる声は、普段聞こえてくる「代表的な」声の中で話かき消されてしまうような声です。もしかしたら、あなたがその声を聞いても、あなたが「代表」されているとは思わないかもしれません。でもそれもまた、あなたが生きている世界を共に生きている人たちの声なのです。

今日の世界における舞台芸術は、そんな声を共に生きてみるための装置でもあります。それはほんのつかの間の事かもしれません。でも、その声を聞いた後では、あなた自身の声も、ちょっとだけ変わっているかもしれません。

次回は各地域の推薦人となってくれた方々をご紹介しようと思っています。よろしければまたお付き合いください。


2019/10/13 

横山義志(よこやま・よしじ)

東京芸術祭国際事業 ディレクター/東京芸術祭ワールドコンペティション ディレクター

1977年千葉市生まれ。中学・高校・大学と東京に通学。2000年に渡仏し、2008年にパリ第10大学演劇科で博士号を取得。専門は西洋演技理論史。2007年から SPAC-静岡県舞台芸術センター制作部、2009年から同文芸部に勤務。主に海外招聘プログラムを担当し、二十数カ国を視察。2014年からアジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)メンバー。2016年、アジア・センター・フェローシップにより東南アジア三カ国視察ののち、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)グランティーとしてニューヨークに滞在し、アジアの同時代的舞台芸術について考える。学習院大学非常勤講師。論文に「アリストテレスの演技論 非音楽劇の理論的起源」、翻訳にジョエル・ポムラ『時の商人』など。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事、政策提言調査室担当。