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介護スタート。取り掛かりは…

こんばんは♪
ビジネスケアラーのtakaです。

夕方、お仕事を早めに引き上げて美容室に行ってきました。営業マンには大事な時間です笑
美容室って昔から大好きで、私、💇‍♀️はパワースポットだと思ってます笑

髪も短くして、スッキリしました。
ヘッドスパでリフレッシュ🩷🩷
ああ天国(≧∀≦)幸せ〜生き返るう〜
ありがとMさん!


今日のお話は、【認知症と診断がおりるまでとすぐに取り掛かった事】です。

そもそも、認知症の診断のきっかけは何だったかというと、主治医から頂いた1本の電話でした。


父の当時の主治医は、私が勤務していた腎内科時代の昔の上司でした。
信頼していましたので、父の付き添いはほとんどせず、お任せしたままでした。

父は、長年の腎臓疾患があり、加えてここ近年は尋常性乾癬に罹患していました。
最初に処方された皮膚科で薬が合わず、鬱症状や激しい下痢になり、明らかに別人のように痩せました。そして、皮膚は非常に厳しい増悪状態を経験しました。

父は以前のように、外にでなくなり、元気な父に戻してあげたい。私はそんな一心で、その数年は寝ても覚めても乾癬の事が気になっていました。

その後、乾癬の専門医の受診をする事ができ、そこをきっかけに、徐々に乾癬の症状が落ち着きました。結果として、長年処方された漢方薬等が体の負担になっていたようです。

乾癬がひと段落し、ホッとしていた時に
主治医からのあの電話がありました。
認知症の疑いがあるので、早急に専門医の受診を勧められました。

思えば15年ぐらい前から、父の様子がちょっと気になり、脳外科には何度か連れて行きました。ですが、年齢並みの梗塞の跡や萎縮もあるけど、年だからねと言われるだけでしたので、父も認知症の検査は行きたくないみたいだし、まだいいかなと避けていました。

腎内科の主治医からその際に
「うちにはもう来なくていいから、これからは近くの腎内科に行って…」と言われた事は衝撃的でした。

何十年も通っていて、この言葉がでるのは、ただならぬこと。
すぐに地域の認知症専門医の予約を取りました。

《診断を受けた日》

年明けに受診した結果は、
アルツハイマー型軽度認知症でした。

精神科の先生には
「今回は軽度って書くけど、バッチリ認知症です。介護認定の申請をした方がいいですよ」と言われました。

先生のお話を聞きながら、
私の頭の中には、父がもう認知症なのだという事実と。
先々、私達、家族の事も何もかも忘れてしまうのだ…
という悲しさで心がいっぱいになり、涙が自然と頬をつたいました。

会計を待つ待合の広いロビーで、目を伏せ、肩を小さく丸くして座っていた私に、
父が「泣かないでいいよ。お父さんは全然、大丈夫だから」と私の肩をポンポンしてくれた事を思い出します。

父の優しさが沁みた時間でした。


そののちの生活の中で、
「あの時の大丈夫はどこいった?
全然、大丈夫じゃないじゃんかよー!!』と心の中で悪態をナン十回とついた事は言うまでもありません泣

認知症の診断を受けたあと、
自宅に戻り、包括支援センターに連絡をする前にした事があります。
父の所有の🚗を売却する段取りでした。

父は高度成長期とともに、クルマを愛して生きていた人です。クルマ命の頑固さんです。
説得して、車に乗るなと言っても、この先、忘れて乗ってしまうかもしれない。
もし万が一、事故でも起きたらと思うと、、

父を犯罪者にする訳にはいかない。

私は保険屋なので、見過ごす訳にはいかない。恨まれる覚悟でやろう。

この世から父のクルマを無くす事が1番最初にする仕事だ!と決心し、さっさと売却をしました。

そして、それからしばらくの間、
タイヤやバッテリーかえたばっかりなのに
あいつは俺のクルマを売り飛ばした!
あいつにクルマを取り上げられた!
俺は大丈夫なのに…
俺のクルマがなくなった!
と恨み節を聞く羽目になりました。

ちなみに、売却したお金を全額渡した時は
ニコニコしてました。


私にお小遣いはくれないんだなーって思いましたけどね笑

今日はこの辺で

ビジネスケアラーのtakaでした♪

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