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駅前のロータリー、待ち人たち。

誰かに待っていてもらう。
これほど、贅沢なことはないのではないか。

駅前で、学生が家族が待つ車に向かうのを見る時、わたしは、そこに胸いっぱいの愛を感じる。

迎えに行くとは、生産性がない活動だ。
もし迎えに行かずにいたら、何か他のことができたはずだ。それでも今日も迎えに行くという決断をする人が、後を立たない。

暑いだろうから、エアコンを効かせた車で迎えに行こう、とか。

雨が降ってきた、傘がないから、傘を持って駅まで迎えに行こう、とか。

疲れているだろうから、迎えに行くよ、とか。

迎えに行く人たちの気持ちを考えれば考えるほど、そこには底知れぬ愛があることに驚く。

そこにいてくれることは、決して当たり前じゃなくて、たくさんの見えない愛が、根底にはある。

両親に何度も送り迎えしてもらった時は、不貞腐れたりした。

けれど、ある程度の年齢になって、親が忙しいのに、送り迎えしてくれた、愛を想う。

やさしさとか、愛は、じっくりみてみないとわからない。その人が、なにかをやってくれたとき、どんな気持ちか、ほんの一瞬でも想像していきたい。

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