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カレーライスをほおばりながら。

おなかすいて、ご飯を食べる。目をとじて、おもう。

先ほど夕飯を食べたときに、ものすごく不思議な体験をした。

いつも通り家族と席について、「いただきます。」といい、カレーライスのルーをまずは味見し、次にモードで炊き上げた白飯と一緒に頬張る。カレーのルーは隠し味にチョコレートをいれたせいか、妙にうまみを感じる。ご飯も熟成炊きモードのおかげか、ごはんの味がしっかりしていて、とてもおいしい。おいしさに浸っていると、ふとしたことが頭に浮かび上がってきたのだ。

「おいしい」はどこからやってくるのか?

「このご飯は、農家からきている。農家の人には、家族がいて、朝早く起きて、朝食を食べ、雨の日も、夏の暑い日も、いつも農作業をやってこのお米を作ってくれている。きっと、作っている人にも家族がいて、もうなくなってしまったご両親のことを考えたり、世話のやける息子のことで悩んだり、奥さんのことを愛していたりするんだろう。」

こんな考えが、ふと頭に浮かんできたのだ。

すると、また新しい考えが浮かんできた。

「そして、このお米はスーパーで売るために、運送業のお兄さんに運ばれたに違いない。何時間も長距離を運転して、生計を立てるために仕事をしている。その時は、ラジオで音楽を聴いたり、トーク番組を聴いたりして、ドライブの時間をたのしんでいるのだろう。仕事が終わったら、奥さんと1日の出来事を話して、眠りについたのだろう。」

こんなことが頭に浮かぶと、また違う考えが浮かんできた。

「スーパーに運ばれたこのお米は、パートで働くお母さんが重い荷物なのに、売り場で並べているのかもしれない。午後5時まで仕事をして、そのあとは、家で料理をして子供と主人の為に、お風呂掃除もついでになったりしているのかもしれない。」

この話はまだまだ頭の中で続いた。

「このお米は家族がスーパーにいって、買ってきて、自宅の炊飯器で”熟成炊きモードにして、炊いてくれた。その炊き立てのお米をほかのおかずと一緒に、用意してくれた。今日は仕事が忙しかったかもしれないのに、こんなに素敵な夕食を準備してくれた。」

こんな風に、お米が取れてから、じぶんの口に運ばれるまでの、一連の流れが頭の中に浮かんだのだった。そして、おもったのだ。たくさんの人が、それぞれの人生を生きて、仕事をして、それぞれの生活を過ごす。そのつながりがあるからこそ、「お米を家庭でおいしく食べる」ということができた。

もっと言うならば、お米のパッケージをデザインした人、スーパーマーケットを経営している人、レジを開発した人、自動車を発明した人、ビニール袋を作ったひと、道路をつくったひと、農機具を作ったひと、などなど。

例えばの話で書いたけれども、本当にたくさんの人たちのしごとが重なりあり、じぶんの「あたりまえ」が作られていると思い、胸があったかくなった。

そんな「奇跡のようなあたりまえ」に感謝しながら、三杯目の熟成炊きご飯をいただきます。〆は、納豆ご飯で!

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