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「情熱の赤いバラ」

情熱の赤いバラは咲いていますか?

社会人になるまでは、大人はみんな(ほぼ99%の人)が情熱を持って仕事に取り組んでいると思っていた。ところがふたを開けてびっくり!!

会社には多様な人々が働いていて、それぞれの個人的な事情や優先順位に基づいて、働いている。つまり、情熱をもって自分の仕事に取り組んでいる人っていうのは、実はマイノリティではないか?ということに気づいた。

(※あくまで個人的な体験であり、世の中には多くの人がモチベーションを持って働いている会社があると思います。ただ、自分の周りで働く有名企業や一部上場企業の話を聞いていて、感じたことを書いてみたいと思います。)

なんのために生まれてきたのか?

会社に入って、自分が想像していなかった仕事をする。子供の時に描けるのは、宇宙飛行士や学校の先生、プロ野球選手。今でいうならユーチューバーなど、あくまで自分が生きてきた範囲からしか、選択肢は選べなかったはず。

けれども、社会人になるころには世の中には本当に多種多様な職業があり、子供の時に知らなかった職業で人々は生活したりしている。

友人が「おれは、リフォームするために生まれてきたわけじゃない」と愚痴をこぼしていたが、確かにそうであろう。リフォームをするために生まれてきたと子供のときから思える人は、相当リフォームに対する思い入れがある出来事に遭遇したに違いない。

「なんのために生まれてきたのか?」

仕事が面白くなかいときに、この問いは残酷である。なぜなら、自分が楽しめていないことで生計を立てている場合は、生きている意味がないと考えてしまうことだって、往々にしてあるからである。

面白がり屋のススメ?(「期待」は「失望」の母)

自分自身の経験を振り返ってみてもそうで、営業職をやることなんて、小さい頃は全く想像していなかったし、「営業希望です!」なんて就活で言っていたのは、あくまで「営業しか知らなかった」からだったりする。

とどのつまり、いくら大人になったとしても、自分が知らないことや想像できないことを考えることは、ほとんど不可能だといってもいい。

仕事をするにつれて、マイナスに考えると「あんまりやっている意味がない」とか「おれは何のために生きているんだ・・・」なんて深刻な悩みになりかねない。けれども、そんなときこそ、小さな出来事を面白がることが大切なのだと思う。

こういうことをしたら、こういう結果になった。その時にはこういう工夫をしたら、こういう人が喜んでくれた。だから、働くことが結構楽しい。

働き始めてからは、大滝詠一さんの「期待は失望の母」という言葉を胸に、まわりで起きる出来事をコメディのように、面白がることにした。

そもそも、現在の日本はいろいろ問題があるにせよ、食べ物がなくて死ぬこともないし、最低限のライフラインは確保されている。しごとで「生きる意味」を考えて、悩んだりしている時点で結構幸せなことのはずだ。

だからこそ、ぼくは「面白がり屋」になることをお勧めしたい。生きていると、「面白くないことのほうが多い」と「期待は失望の母」という言葉を胸に、日々の周りのことを面白がる。面白がろうと思うだけで、気分もそこまで落ち込まないし、前向きになったりもするものです。

だから、じぶんに期待しよう。

ということで、僕が会社員として働いた中でいま思う事。それは、「じぶんに期待すること」の大切さ。どんなに会社の上司や同僚、後輩の話をしても、あなたのポジションは変わらないし、何も成長することはない。

だとすると、今の自分にとってやりたいこと、必要なことはなにか?ということをとことこん考え続ける。(実はこれがすごく残酷な質問で、自分なりの答えをだしたら終わりというわけではなく、自分の答えを確かめるために、継続的な努力が必要になる。学生の頃は、勉強しかないからいいものの、大人になると家族や飲み会や、趣味やら旅行やらで、目標へ向かう努力を妨げる理由がたくさんある。その理由を使えば、努力しなくていい(ようにみえる)のだけれど、それでは何も変わらないままになる。)

なので、すごく残酷なのだけど、自分で決めて自分で継続するっていうことを繰り返し続ける作業が必要になってくると思う。ぼくもいろんなことを始めては、やめて。後悔して、またリスタートしての繰り返し。近々、面白い報告ができるように、今は新しいチャレンジをしています。そのチャレンジについても、いつか記事にかけるといいなと思う。

まとめ

しごとに情熱をもっていない大人も多くいる。

それは、そもそも自分が作った仕事ではなく、だれかが作った仕事。だから情熱を持つことは難しい場合も多々ある。

だからこそ、目の前のことを面白がる、面白がり屋さんになろう。

その時に大切なのは、「期待は失望の母」という考え方。

期待するなら、じぶんに期待をしよう。(でもこれは逃げることが許されない、すべてが自分の責任になる残酷な期待)

じぶんに期待して、じぶんと向き合って、継続的な努力を重ねる。

何かを成し遂げるのは、じぶんなので、じぶんの胸に「情熱の赤いバラ」を咲かせよう。

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