2019年11月「アテネのタイモン」

戯曲リーディング「アテネのタイモン」見てきました。朗読劇として上演してみることで狂言化の可能性を探るという意欲的な舞台。野村萬斎さんをはじめとする万作の会の狂言師の方々が、黒いファイルを片手に、黒いシャツ、黒のパンツ、黒の靴下姿で演じられました。

リーディングといっても座って読むのではなく、舞台を動き回りますし、ライティングも効果音もあり。萬斎さん以外は、一人が何役も務めるので役柄が切り替わるたびに、狂言の肩衣をつけたり烏帽子をかぶったりという演出もありました。

さて、「アテネのタイモン」。シェイクスピアの問題作なのだそうです。
「リア王」と対になる、というのは主人公のタイモンが絶望して人間不信に陥り、洞窟に引きこもってしまうから。ただ、リア王とはまったく違う印象であえて共通点を見つけて、対と呼ばなくてもいいのに、と思いました。

タイモンは大金持ちで、自分の懐具合を顧みず、絵やら詩やら宝石やら、何でも買っちゃうし、人に奢りまくってパーティー三昧の、ちょっとアホな人です。舞台冒頭から執事が「お金がない」と暗くなり、ピンチの予感しかありません。すぐに財政破綻して、これまで世話をしてきた皆さんに借財を申し入れるタイモン、あっさりはねつけられて人間不信になり、洞窟へ。

でも、基本的にそれっきりというお話です。いろいろな人から救いの手は差し伸べられますが、タイモンは罵詈雑言を吐いた挙句、「私の地所に大きな木がある。みんなが首をくくるのにちょうどいい」と捨て台詞を残し、海に投身自殺。しかも、「私の名を問うなかれ。我が名はタイモン・・・」から始まる謎の墓碑銘を残して。

物語としては釈然としませんが、心情的には意外にスッキリ。タイモン、反省も改心しないしわかりやすく堕ちていきっぱなし。でも、そういうこと、あるでしょう。悪いとわかっていても謝れないことはたくさんあるし、謝ったところで元になんか戻れないんだから。タイモンが毒づくのを聞いていると(萬斎さんの激しい演技がすばらしかった!)自分の中のダークサイドがビリビリ刺激される感じでそれが妙に心地よいのです。選んではいけない道、方法を選んで最終的にタイモン自身が満たされたとも思えないけれど
そういう結末もありだなと納得させられました。

世田谷パブリックシアターで以前、井上ひさしさんの『藪原検校』を見て
めちゃくちゃ面白かったのですが、成り上がるために、悪の道を突っ走る爽快感がありました。同じ堕ちてゆく人でも、タイモンはひたすら暗いし、
藪原のような意志の強さもない。そこに、暗い共感を呼び覚まされたのです。

終演後に、翻訳者の河合祥一郎先生と萬斎さんのポストトークがあり、萬斎さん「狂言に『川上』という作品があって」とお話をされましたが、私も見ている時にまさに、『川上』の腑に落ちなさに、ちょっと似ていると思いました。『川上』は、目の見えないおじいさんが主人公でお地蔵様に「あなたの目を見えるようにしてあげる。でも、あなたの奥さんとは悪縁だから別れなさい」と言われ「目が開いた、うれしい!」と喜びつつ、奥さんにお地蔵さんの話を伝えると奥さんは絶対に別れない、と。それで主人公は再び視力を失い、奥さんに手を引かれて(杖を捨ててしまったので)去っていく、という話。これも、誰が幸せになったんだか、ならないんだかよくわからないけれど、不思議な余韻があり、何度見ても考えさせられる作品です。

もしかしたら「アテネのタイモン」は能に向いた作品なのかもしれません。笑えるかどうかではなくて、感情の濃さ、複雑さが能っぽい感じがしました。
https://setagaya-pt.jp/performances/athens201910.html

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