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木箱記者の韓国事件簿 第7回 チャンギ空港の救世主(1)

 「ナッツリターン事件」で評判を落としてしまった大韓航空。だが個人的にはちょっとした恩義があり、同社に悪い印象は持っていない。今回はそんなお話を。

 いまから12年前の2004年のこと。マレーシアとシンガポールに旅行に出かけた。チケットはソウル市内の旅行代理店で手配した。大韓航空で往路を仁川~クアラルンプール、復路をシンガポール~仁川とする変則的な往復チケットだ。業界用語ではこうしたチケットを「オープンジョー」と呼んでいる。代理店をいくつか回ったが、このルートで発券できるところがなく、数軒目にしてようやく扱っている代理店を見つけ安心した。だがこのチケットが禍根となってしまった。

 クアラルンプールで3日間の観光を終え、マレー鉄道の寝台列車に乗って早朝にシンガポールに入国し、市内を観光してから夕方にチャンギ空港に向かった。空港の大韓航空のチェックインカウンターでチケットを差し出すと、スタッフの女性は怪訝な顔をしながら「どちらに行かれるんですか? このチケットはシンガポール行きなんですが…?」と尋ねてきた。どういうことなのか。

 当時はまだ紙のチケット全盛時代。今回のチケットは3枚綴りで、1枚目が仁川~クアラルンプール、2枚目がクアラルンプール~シンガポール、3枚目がシンガポール~仁川となっている。2枚目は陸路移動で使わないため代理店での発券時に破棄されなくてはならないのだが、あろうことか代理店は3枚目の仁川行きのチケットを破棄していたのだ。ゆえに手元にあるのはシンガポール行きのチケットということになる。名前の綴りと便名の確認はその場でするが、チケットの綴りまでは確認していなかった。

 「ちょっと待ってください、では仁川には行けないのですか?」「チケットがシンガポール行きですから。チケットを買い直していただかないと…」。いちおう確認してみると、仁川行きにはちゃんと予約は入っているとのこと。なのでチケットさえ買い直せば予定通りの便に乗れるという。ただ問題は旅の終盤で手持ちの現金がほとんどないこと。当時クレジットカードは持っておらず、海外で資金を調達する方法はなかった。トラブルの元凶はふざけたチケットを発券してくれた旅行代理店にあるので買い直した上で帰国後に弁償させればいい話だが、買い直すためのお金がないのではどうしようもない。そしてお金も重要だが、私にこのトラブルを乗り切れるだけの英語力がないこともまた大きな問題だった。チケットもない、お金もない、英語力もない、という三重苦を抱えたまま見知らぬ国の空港でなすすべもなく途方に暮れるが、じっとしていてもなにも解決はしない。

 そうこうしているうちにカウンターの中にいた少々年配のシンガポール人男性スタッフがやってきた。なんと日本語が話せるという。よかった。救世主はいたのだ。そう思ったのだがそれは早合点だった。この状況で日本語が話せる人がいたのは心強かったが、残念ながらこのトラブルを解決できるほどの日本語力はなく、結局は英語で話し続けるしかなかった。トラブルのいきさつを女性スタッフから聞いた男性スタッフはカウンターから出てくると、私の手を取りこう言った。

 「じゃあ空港警察に行こうね」。

 まさかの強制送還か。確かに入国時には必ず出国の航空券を持っていないといけないという規則はあるが、それに違反したとでもいうのか。強制送還なら日本行きなのか韓国行きなのか。送還費用は実費を請求されると聞いたことがあるが、請求は送還後だろうからいまは現金がなくても乗り切れるだろう、などいろいろな考えが頭の中を駆け巡る。そうこうしているうちエレベーターに乗せられ空港地下にある警察に到着し、カウンターで事情聴取となった。絶体絶命の木箱記者。さて、このあと無事に飛行機に乗れるのか。緊張が高まったところで紙数が尽きたので続きは来週に。

初出:The Daily Korea News 2016年8月22日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。


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