ブログのない毎日-眠れぬ夜-
オフコースの「眠れぬ夜」という歌の、そのフレーズがなぜか口をついて出てくることがある。
地下鉄の出口から地上に出るときだとか、買い物袋を提げた帰り道だとか、なにげないときに意識もせずに口ずさむ。
「愛のない毎日は自由な毎日」
それは、確かにそうなのだ。
自らをとりまく日常に対して、確かにこれは愛がある毎日だと思うときも、そうは思えないときも、そのフレーズの意味するところはいつも正しいと感じる。
愛のない毎日は自由。
けれど、自由であることが自由でないことよりも必ずよいというわけでもない。
たいていの物事は、絶対的に良いとか絶対的に悪いとかいう二元論で語られるのではなく、何かよりちょっと良かったり、ちょっと悪かったりする、そのバランスの上で成立しているのだから。
ブログを書かない日々は、それに近く、「ブログのない毎日は自由な毎日」であったことは事実だ。
そして同時に、その歌のフレーズが携える空虚感や孤独、あるいは焦燥、そういったものが、「ブログのない毎日」に当てはまるような感覚も間違いでない。
言葉は、常に生まれては消えている。
止みかけた真夜中の雨に、多少なりとも濡れながら信号待ちする渋谷の交差点。
たとえば、今この足取りに言葉を与えるならなんだろうと考える。
アスファルトに貼りつく横断歩道。
赤がグリーンに変わった。
考えること自体は、もはや癖になり、そうして生まれて消える他愛のない言葉の群れを、書きとどめるのか否かが違うだけだ。
「背景には心情が乗る」と私は信じる人間なので、できるなら私が見たもの、触れたもの、味わったもの、愛したものをありのままに描きたい。
私がどうして何をどう好きだと語るよりも、それ自体の美しさ、尊さ、滑稽さ、あるいは憎らしささえも、ありのまま描く方が、ずっとずっと愛は伝わるような気がするのだ。
他愛ない言葉の群れを書き留めて、瞬間的な寿命にすぎない心情のあらましを、どこか永遠に焼きつけたいと、私はきっと思っているのだろう。
「眠れない夜と雨の日には忘れかけてた愛がよみがえる」
そうやって時を止めるために、たぶん私は書くんだと思う。
眠れぬ夜
作詞・作曲:小田和正
編曲:オフコース
■2007/1/21投稿の記事
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